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『この仕事嫌いだし、面倒になって』
そんな理由の突然の強引な脱退に、当然伊織は激怒し、絶交状態となった。
それから数年、衛士は後藤の仕事を手伝いながら、ダークウェブを巡回し、違法動画サイトに、伊織の動画が挙げられていないかチェックしていた。
あの悪魔はいつまでも伊織に執着し、中傷コメントをSNS上で発信し続けている。いずれまた、我慢が出来なくなり、伊織に近づいてくるだろうと踏んでいた。
そして二年前、衛士は四ノ宮が東京のネットTVの局に移籍したことを知ると、衛士はその動向を探り続けた。
半年前から、彼は明らかにおかしな行動を取っていた。ネットTV局を休職し、それまで住んでいたマンションの部屋も引き払い、郊外の廃墟に棲みついていたのだ。
その廃墟は、伊織が子役時代によく使用していた劇場で、明らかに何か企んでいるとしか思えなかった。
衛士は、四ノ宮の動向を探りに、その劇場の廃墟を訪れた。
その後のことは、全て記憶が不明瞭だ。
もみ合いになり、階段から突き落とされたことは覚えている。その後自分が一体どうなったのか。
どこで眠っているのか。何も思い出せず、気づくとこのスタジオにいた。
まるで泥の中をさまようような半年間だった。
伊織を助けなければと思うのに、彼の元へ向かおうとすると、徐々に思考がぼやけていって、気づくとこのスタジオに連れ戻される。
段々と、自分自身のことも忘れてしまいそうになっていた。
少なくとももう、自分の顔はよく思い出せない。一体いつまで、自我を保っていられるのだろうか。
先ほどは、久しぶりに言葉を話すことが出来た。あの狗飼という少年が、はっきり自分の姿を捉えてくれたからだろう。
だが、彼がその場からいなくなると、少しずつまた、意識が遠くなっていった。
(伊織は……伊織だけは……)
ぼやけた思考の中で、今でも強烈な残像として焼き付いているのは伊織のことだけだった。
このスタジオで、何度も彼と一緒に撮影した。
その時の伊織の、輝くような眩しい笑顔だけが、屍となった今の自分を動かしている唯一の感情だった。
溶けていく思考の中、ただ、彼を救うことしか考えられない。
生前、どうしても後悔していることは、生きているうちに四ノ宮を殺しておかなかったことだ。
幽霊になったら、どれだけ憎く思っても、もう殺すことは出来ない。
誰かの、生者の体を乗っ取ることが出来ないかも考え、見回りにきた警備員を襲った。
どれだけがむしゃらに彼らの魂の中に入り込んでも、乗っ取ることが出来るのは僅かな時間だけだった。
だが、ようやく今、一つ大きなチャンスが回ってきた。
狗飼は今、伊織の元へ向かっている。
四ノ宮の元に向かうときは護身用にナイフなどの凶器を持って行くことを強く勧めた。彼は、途中で工具店に立ち寄り、バタフライナイフを買っていくと言っていた。
凶器を持った狗飼が、四ノ宮の元へと向かっている。彼は伊織を助ける気はあっても、四ノ宮を殺そうとまでは思っていないだろう。
生前の自分も、そうだった。
だが、あの悪魔はもう、どうしようもないのだ。法律では裁けない。何年檻の中に閉じ込めても、暴行して脅しても、いずれ再び伊織のもとへ現れるだろう。
だから、殺すしかない。
例え、僅かな時間でも、狗飼の体を乗っ取ることが出来れば、今度こそ躊躇わずに、あの男を殺すだろう。
(イオリ……イオリ……タスケル……カラ……コンドコソ、ゼッタイ)
その笑顔を守るためなら、自分もまた、悪魔にも怪物にもなれる気がしていた。
──衛士はそんなこと出来ない。俺には分かるよ
どろどろに醜く溶けた思考の中、優しい伊織の声が妙に鮮明に響いた。
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最終回間近に長々と回想をすみませんでした!衛士くん視点はこれで終わります!
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