さよなら、ジョー・フィッシュ

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 珍しく晴れた雨期の日曜日、私達は朝から図書館にいた。  グループ製作の課題で、絶滅した生物のリストを作る事になったのだ。6人1グループで1枚の新聞を作るのだが、どうにも意見がまとまらない。最終手段として図書館で科目別に2人1組となり、調べる事にしたのだった。 「あとは学校でまとめようか」 「でも多いんだね、死んじゃったのって」 「ね・ね」  グループの内の女の子が、声を掛け乍ら走って来た。周囲の大人達が注目する。私達は一斉に人さし指を立て、彼女を制した。 「あ、ごめん」 「どうしたの?」 「向うに、柏倉くんがいる」 「え? まじで? うそ、もしかして柏倉の班も図書館来てるの?」 「もしかして内容だぶってないよな」  グループ製作の内容は、発表まで他言しない事が鉄則なので、重複する事がしばしばある。リーダーはそれを案じ乍ら眉間に皺を寄せた。 「違うんじゃないかな、他の子見ないし」 「柏倉くんだけ図書館担当とか」 「まさかあ。だったら、大丈夫なんじゃない?」 「だったら何でいるの?」 「さあ…。物好きだけじゃないか?」  隣に立っていた西崎が、私に相槌を求めるように言った。  この中央図書館は一般の図書館と違い、陳列されている蔵書は殆どが専門書であり、中には歴史的価値の高い、文化財に指定された蔵書もある。ゆえに、通行証が無いと入れない程の厳戒体勢を敷かれた図書館なのだ。  ここを利用する殆どが大学関係者・研究機関関係者であり、小学生が個人的に利用する事は、まず有り得ない。私達でも、学校側から申し込みを入れてもらい、1週間程して通行許可が出たほどなのだ。  そんな場所に、小学生が1人で訪れ、利用しているなど、実に奇異な事である。  しかし、私は内心ぎくりとしていた。  実は、DNA登録がなされていれば家族内での使用が許可されているのを良い事に、私も父の許可証を使って密かにこの図書館に通 っているのだ。  当時、私は自分の夢を誰にも話していなかった。気恥ずかしくて、誰にも言えないのだ。それに、誰かに自分の夢を知られる事が、何だか大事なものを壊されるような気がしていた。  かといってその夢を叶えるには、秘密裏に関連書を読んで勉強するしかなく。  近所の図書館では求める専門書が少なく、且つ、クラスメイトに遭う可能性も高いので、この中央図書館に通う事となったのだった。 「さ、帰ろうぜ」  西崎が先頭に立ち、全員を促す。私はロビーに出た処で、急に柏倉が何を読んでいるのかが気になって立ち止まった。 「何してんだよ、晴」 「あ、うん。俺、トイレ行ってから帰るから、先に帰ってて」 「そう? んじゃ、また明日な!」  手を振ってから、私はトイレに行く振りをしてロビーの壁に隠れた。そして、彼等の姿が完全に見えなくなってから、再び図書フロアへと引き返したのだった。  図書フロアは、1階と2階のフロアで構成されており、限り無く広い。  1階フロアにはソファやテーブルが並び、学者然とした風貌の者で埋め尽されている。学生も多いのだろうが、小学生の私には、誰もが学者に見えた。  この1階フロアを取り囲むように、2階フロアがある。  巨大な本棚が幾つも整然と立ち並んでおり、子供にしてみれば巨大な迷宮だった。  細やかな冒険心を満たしつつ、私は柏倉の小さな姿を探した。  棚と棚の間を覗いては、出来るだけ音を立てないように早足で過ぎる。  純文学の棚を抜け、次第に理化学の棚に移り、自然科学の棚を過ぎたところで、ようやく彼を見付けた。  私は、声を掛ける前に、棚のプレートを見上げた。  そこには、古代生物学と印刷されていた。 「柏倉くん」  小声で呼んでみるが、返事は無い。彼は1冊の分厚い本を、食い入るように見ている。 「柏倉くん」  少し距離を縮めてから、再度呼んでみた。すると、彼は弾かれたように本を閉じ、私の方に勢いよく振り向いた。ただでさえ零れ落ちそうな程の大きな目が、ますます大きくなり、円くなっている。同じクラスになって、私は初めて彼の動じる姿を見た。 「ノーランくんか」  彼は本を脇に抱えると、ふと溜息を吐いた。 「何してんの?」 「君こそ」 「俺は、グループ製作の資料を探しに来たんだ」 「そう。大変だね」 「柏倉くんのグループは違うの?」 「そうなんじゃない?」  彼はそう、あっさりと言い切った。  実は、別に彼は、クラスから疎外されている訳ではない。  勉強も常に学年首位、運動能力もそこそこ優れている方で、どちらかというと羨望の眼差しで見られている事の方が多い。だからか、表面 上だけの取り巻きも少なく無い。西崎はその手合いの人種が嫌いなので、取り巻きに対して注意を促さない柏倉があまり好きでは無い様子だった。  そこに加え、彼には愛想というものが完全に欠如してた。  興味が無いものには全く見向きもしないせいか、取り巻きの存在にすら気付いていない節がある。  もちろん、遊びに行こうと誘っても、イエス、と応えてくれた事は一度も無い。 義務付けられていない限り、団体行動に加わることは無かった。何処であろうと、徹底した個人主義を通しているのだ。  そんな彼が、珍しく人前で一瞬とはいえ動揺し、いつもなら挨拶だけで終わるところが、単調とはいえ会話が成立するなど、 私にとって正しく青天の霹靂だった。  私は何となく、嬉しくなってきた。 「今、何を読んでたの?」 「古代生物学の本」 「こだいせいぶつがく?」 「大昔にいた生物の研究」 「難しそうだね」 「別に」 「そう・・・あ。大昔にいたって事は、今はいないって事だよね」  今、グループ製作で私達が調べている事と大差無い、と、私は単純に思った。「でも、そんな昔の動物の事を、一体どうやって調べてるんだろう。化石だけで、何処迄の事が判るんだろう」  私が調べた資料は写真やイラストが中心で、深い説明は書かれていなかった。  そんな私の疑問を他所に、柏倉は別の棚から新しい本を手に取ると、パラパラと捲って、それも脇に抱えた。そして、こちらを身もせずに口を開いた。 「ノーランくん、君はここに何しに来たの?」  カウンターパンチを食らった気分だった。  彼は、話し掛けられたから、ただ適当にあしらっていただけなのだ。  いい加減喧しく感じたのか。私は俄に不安になり、その場で黙り込んでしまった。  もともと私自身、率先して行動する方では無いくせに、何故この時ばかり、彼の姿を見掛けたからといって興味を持って話し掛けてしまったのだろうか。  別に興味だけなら、遠巻きに見れば良かったものを。  所在なく吃り乍ら別れを告げかけた時、彼がぼそりと呟いた。 「君も、よくここに来てるよね」  私は、彼の思いも寄らない言葉に驚いた。そして、今度は唖然とする私を見乍ら、こう続けた。 「君は将来、写真家になりたいんだ」  開いた口が、塞がらなかった。  まさか、見られていたとは。 「え、と、その。柏倉くん、あの」 「別に、誰にも言わないよ。それより、図書館でこんなに喋っていたら迷惑だから、外に出よう」  彼はもう、私を見てはいなかった。今日借りる予定にしていたのであろう本を選び、他の棚には目もくれずにカウンターへと向かった。 「君は借りないのかい?」  私は小さく頷いた。  そして、ぼんやりと彼の小さな背中を見つめ乍ら、図書館を後にしたのだった。
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