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その後、彼は一ヵ月もしないうちに転校して行った。
クラスの人間の誰もが急な転校で驚いたのだが、暫くして彼の父親が汚職容疑で捕まった為だと知った。
彼の父親は、内政大臣の一人だったとも。
風の噂で、彼は母親の故郷に移住したと聞いた。
それ以降、柏倉の存在は消されたかのように、私たちの中から消えて行った。
そして。
あれから20年以上が経ち、私は写真家にならずに設計士になった。夢を何処かに置き忘れたのか、それとも諦めてしまったのか。小遣いを貯めて買ったカメラも、今は何処にあるのかすら判らない。つまらない人間になってしまったな、と興醒めする瞬間に思い出す。
私はベッドサイドにあるルームランプのスイッチを切り、数時間後に訪れる現実の朝に備え、眠りに就いた。
一週間が過ぎ、久し振りに早く帰宅した夜、タイミングを見計らったように電話が鳴った。電話の相手は西崎で、先日の同窓会に行けなかった私を慮ってのことだった。
「どうだ、そっちは。忙しくやってるか?」
「ようやく工事日程の目処が付いたってところかな。一応土壌生成は完了してるんだけど、まだまだこっちは判らない自然現象が多くてね・・・」
溜め息混じりに私が応えると、西崎はそうかもなあ、と笑った。
「ま、でもすごい昇格なんだ、気合い入れて頑張れよ。今回の仕事が終われば、戻れるんだろ?」
「多分ね」
私たちは挨拶替りに近況を報告しあい、同窓会の話題へと流れを変えていった。
「結構集まってた? そうでもない?」
「ま、3/4てところかな。子連れが多かったから、人数は多かったけど」
「そうか、そうだろうな」
「カイや芳梨がよろしくって言ってたぞ。ああ、それと残念だなあ、晴。ミリ、来てたぞ。すっげえ美人になってた」
「え、そうなの? うわ、それは残念」
暫く同級生たちの話題で盛り上がり、当時の思い出話に花が咲く。
珍しく長電話をしている私に気を遣ってか、いつもなら、早く帰った日は私が娘を風呂に入れることになっているのだが、妻が娘と風呂に向かった。
流石に30分以上も話していると、西崎の電話料金が気になる。続きはメールで寄越してくれと言い、電話を切ろうとして、西崎が待ったをかけた。
「なに?」
「晴さあ、柏倉って覚えてる?」
覚えているも何も、つい先日克明に思い出したところだ。
「覚えてるけど?」
「サイチ、あいつ今、探査管理委員会の開発研究チームにいるんだけどさ、ばったり会ったんだって」
「本当に?」
「ああ。それでほら、今度の4日に出発する探査団に参加してるんだってよ。すげえよなあ・・・勇気あるというか」
「柏倉の、担当は?」
「研究班だって。古代生物と地質調査の」
電話を切ってから、私は再びアルバムに写る柏倉の姿を眺めた。
他の女生徒に混じって、消されそうなほど小柄な彼は、寡黙に、そして確実に夢を現実に変えていったのだ。
だが・・・私の心は、素直に喜ぶ事が出来ないでいた。
私は再び受話器を取ると、郷里の両親の元に電話をし、あの分厚い鉱石図鑑を探して貰うように頼んだ。
「そんな古い本、残ってるかしら」
「図鑑だから、捨ててはないと思うんだけど。覚えてないかな、草色のハードカバーで・・・」
「あれでしょ、ジョーくんとか、なんとかっていう子に貰ったって言ってた」
私はぎょっとした。が、母親が、そういう風に彼のことを覚えていても仕方がないことを思い出す。
あのとき作ったグループ制作の新聞で、絶滅種のリストを作ったときに、私は彼にそっくりな魚を見つけたのだ。
学名などは一切省いていたので判らないが、その魚はジョー・フィッシュと書かれていた。
もう随分昔―――500年以上も前に絶滅した魚。
目が零れそうなほど大きく、いつも巣穴から出ようとしないジョー・フィッシュ。
その生態が解明されないまま姿を消したジョー・フィッシュ。
それが、柏倉とリンクして、いつしか私は家族に彼のことをそう読んで聞かせていたのだ。
私は本が見つかったら送るように頼み、電話を切った。
握り締めた受話器に、自分の顔が歪んで映る。
その向こうで、たった一度だけ見せてくれた彼の笑顔が浮かぶ。
―――必ず考古学者になる。
その言葉に含まれていた、もう一つの彼の夢。
それがもう僅かな時間で叶うという。
恐らく、彼の将来の夢を知っていたのも私だけであろう。
なのに、私は手放しで喜ぶことはできない。
それは探査団という、片道切符の旅券のせいだった。
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