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Day2.屋上
「ここから飛び降りたらどうなるかな」
「多分死ぬかな」
「多分じゃなくて絶対じゃない?」
「いや、運良く柵に引っかかって、ワンクッションになるだろ? で、その反動でまた落ちて引っかかって——そうなれば地面についた時には勢いは多少落ちてるだろうから即死は免れそう。まあ、生き残っても五体満足でいられるかはわからないけど」
「つまり寝たきりとか、そういうことでしょ?」
「そう」
わたしは彼の言葉に納得はしたけれど返事はしなかった。フェンスにしがみついて屋上からの景色を眺める。マンションやビルが見える。所々に見える緑は公園や学校だろうか。その奥には淡い山々が見える。上を見れば視界一面に青が広がる。雲ひとつない空だった。
「死んだ後のことなんて本人には関係ないことかもしれないけど、できれば普通というか。そのままの姿でというか……最期まで、その人の姿であってほしいと思う」
「キヨも、そう?」
「俺は最期まで今の、そのままの姿を目に焼き付けたいかな」
わたしはまた、彼の言葉に返事をしなかった。グッと口を引き結ぶ。彼の言っている意味もわかる。けれど、それでも何もできない、どうしようもないというこの感情はどうすればいいのだろうか。
「骨と皮みたいになって、青白い顔で、元気だった頃と違う姿でも、いいっていうこと? それってそのままの姿って言える?」
「じゃあ、今はどう? 痩せてガリガリになっても、中身までは変わらないだろう?」
「だったら、飛び降りたって電車に轢かれたって一緒じゃない? どんな姿でもいいんでしょ?」
「まあ、うん。そうかもしれない。でも俺は、自然にさ。流れに身をまかすというか。自分で自分の人生を終わらせるっていう選択はしてほしくない」
「それって、エゴだよ……」
「エゴか。そうか。難しいな」
彼は読んでいた本を閉じて膝の上に置いた。昨日読み始めた本は、すでに半分近く読み進めていた。
「俺はイチカに生きて欲しいんだよ」
「知ってる」
「最期まで、ちゃんと生きて欲しいだけ」
「……わかってる」
「だから、そんなこと考えんなよ」
「……でも、わたしが生きてる世界にキヨ、いないじゃん。先に、天国行っちゃってるじゃん」
「だから、俺は最期は今のイチカの顔見て死にたいって言ってんじゃん」
「わたしだって! わたしだって……キヨに、看取ってもらいたいよ」
「まあ、それは長生きしてもしなくても、どちらかは見れないからな」
「だから、そうじゃないなら一緒に死にたいって言ってんじゃん!! キヨのいない世界なんて、無理」
キヨは目を細めてわたしを見ていた。
小麦色に焼けた肌は、透き通るほど白い肌になった。わたしの倍以上あった腕の太さは、わたしより少し太いくらいになった。
キヨなのにキヨじゃない。
だけど笑った時にできるえくぼや、わたしの名前を呼ぶ少し高めの声は、間違いなくキヨだった。
どんな姿だってキヨはキヨで、それは何も変わらない。どんな姿でもいいからそばにいて欲しい。
でも、それは無理なことだと、わたしもキヨも知っている。キヨに残された時間は少ない。
「迎えに行くよ」
「……いつ」
「イチカが死ぬ時」
「やだ」
「どうして」
「おばあちゃんじゃん。キヨなんて高校生のままじゃん」
「なんだ、長生きする気じゃん」
キヨの言葉に息が詰まる。だって今、キヨが生きてって言うなら生きなきゃいけないじゃん。キヨのいない人生なんて考えられないけれど、でも、わたしが死んだらキヨのこと、ここまで思ってくれてる人間なんてキヨの両親とわたしだけだ。
キヨを思って生き続けられるのなんて、わたししかいないんだ。
「生きてよ。俺のこと、思って生きてよ」
「当たり前じゃん」
「結婚してもいいし」
「結婚できないかも」
「なんで」
「だって、『わたしには小さい頃から結婚を決めてた人がいて、その人は高校生の時に死んじゃって、その人がわたしの中で永遠に一番ですが、それでもいいですか』て言わなきゃいけないんだよ。結婚できそう?」
「まあ。うん。なるようになるって。俺は嬉しいけど」
「なにそれ」
わたしは笑ってキヨを抱きしめた。キヨからは嗅ぎ慣れてしまった病院のにおいがする。折れそうなほど細くなった身体に涙が出そうになったけど、キヨの前では泣かないと決めた。
そう誓ってもう二年。きっと、そろそろ限界かもしれない。
「必ず来てよね」
「もちろん」
「元気な頃の姿で、来てよね」
「わかった」
「会いに行くから」
「俺に?」
「スカイツリーに登って一番高いところまで行ったらさ、キヨの近くに行くよ。ね? そうしたら、ここより空が近くなるし」
「うん。楽しみにしてる」
「——キス、してもいい?」
「いいよ」
キヨの頬を両手で挟んで、真正面から見つめる。大好き。ずっとずっと大好き。だから、だから。
「またね」
「おう」
「忘れないでね」
「俺の初恋だからな」
「大好き、キヨハル」
「うん、俺もイチカが好きだよ」
キヨの唇に触れて、お互い笑った。それは暖かな初夏の出来事だった。
✳︎
キヨは、その二日後に天国へ行ってしまった。急すぎる別れだったけれど、二年前からいつもどこかで覚悟はしていた。だから、病院の屋上で話したあの時間は、わたしの中で一生の宝物になった。まだ、思い出したら涙は止まらないけれど、この胸の温かさは永遠になくならない。
わたしは、キヨが読んでいた読みかけの本を抱きしめながら高校の屋上に来ている。キヨと通うはずだった、青春を謳歌するはずだった場所。
わたしはフェンスに寄りかかるとしゃがみこんで、パラパラとページをめくる。キヨは珍しく恋愛小説を読んでいた。主人公の名前がわたしと同じ『イチカ』という名前だったからと、笑って言っていた。
「あと何十年もキヨのいない世界を生きるのかー……ツラすぎて死にそう」
このフェンスを超えてしまえば楽になるかもしれない。この葛藤を死ぬまで続けながら、キヨの迎えを待たなくてはいけない。
「早くおばあちゃんにならないかなー。ほんと、天国行くの早すぎなんだよ。キヨのバカーーーーーーー!!!」
わたしの絶叫は屋上に響き渡る。そしてその声がキヨへ届くように、わたしの思いが伝わるように、ゆっくりと青空へ吸い込まれる。
キヨがいるだろう空の近くが、わたしの居場所だ。それはきっと、わたしが死ぬまで変わらない。目を閉じて風を感じる。その風に乗って、キヨの声が聞こえないだろうか。
わたしはいつまでも風の音に耳をすませた。
#novelber 2nd -屋上-
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