東京PT ―安全保障監視局特務員―

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 いくつもの高層ビルが並ぶ東京の中心部。  スーツ姿の人が行きかう姿を、死角なき無数のカメラが見ている。しかし、それを気に留める人は誰もいない。  そんなビル街の片隅に、俺が働いている場所がある。  どのビルも新しく綺麗なものばかりであるのに、たった一つだけ目立つ、ボロボロの古いビル……それが仕事場である監視局だ。  監視局で勤務する人の年齢層は比較的高く、人数は少ない。多くが出張や現場検証、情報収集に向かっているからだ。  そんな人が少ない監視局内には、重要データが多くある。個人情報だけでなく、この社会を操作する情報が。もし漏洩すれば、社会の基盤が崩れかねない。だから、何としても守らねばならない。  ……はずなのに。何故かお金がないからと、情報を守るためのセキュリティーは古い。それが俺にとっては都合がいいが。  今はチップを認識するセキュリティーを導入しているのがほとんどである。  役所とか病院だけでなく、駅やショッピングモールまでもがこのセキュリティーを導入済み。扉に着いているカメラで個人を特定。建物内への出入りを管理する。  また、取り扱い注意なデータが入った機密電子データは、チップ認証によるロックが主流なのに対して、パスコード入力式を採用。もしくは、紙でのやり取りをしていたりするほど、時代に置いていかれたセキュリティだ。  カメラに認識されない俺の『不可視体質』は、こんなセキュリティーを解除できない。  つまり、俺は現代セキュリティーが導入されている建物に入ることが許されない。まあ、誰かが扉を開けた隙に入り込むことならできるんだけど、基本的には一人で扉を開けるってことは無理。  そんな社会とは対照的に監視局は未だに原始的な方法をとっているから、都合良い。いたって普通の鍵や、パスコードを用いたセキュリティーなら俺にも解除できる。  監視局の入り口には警備員がいるから、パスコードは不要。顔パスだ。  パスコードとかのセキュリティーが関わってくるのは最上階――と言っても三階だが――にある局長室に行くときだけである。 「さて。開けないとな」  局長室へ向かう扉の前に来た。早く行かないと、怒られてしまうし。  ミオはミオで、通常業務に戻って行ったからここは一人で扉を開けねばならない。  まずは、鍵。  絶対に無くすなと言われたから、そりゃもう大事に首からぶら下げて……って、首が痛くなったから、デスクの引き出しにしまってきたんだった。  鍵がなければ、パスコードがある。  英数字含めた八桁が、日ごとに入れ替わっている。 「あ、間違った」  扉の横にある入力画面へ入力したら、ぶぶーっと入力を間違ったことを知らせる音が鳴った。  しっかりと扉のセキュリティーが仕事をしているようだ。  三回間違えると、警備システムが働き、警備会社に連絡が行き、面倒なことになるという話を聞いている。  チャンスはあと二回。  慎重にパスコードを入力する。  ぶぶーっ。  おかしい。二回目のミスだ。これ以上は間違えられない。  だけど、思い当たるパスコードがもうなかった。 「ああ、やっぱりキミか。何回も間違えるのはキミしかいないからね、ミナトくん」  パスコードに頭を悩ませていると、開けたかった扉が勝手に開いた。  そしてそこから出てきたのはスーツの上着を脱いで、腕まくりをした局長だった。  局長という立場でありながら、やってることは幅広く、掃除や草むしりなどの雑務もこなす。腕をまくっているから、多分掃除をしていたのだろう。  そんな局長に「ミナト」と呼ばれる。一応俺の名前だが、本名ではない。  名前なんてただの記号。港で局長が俺を拾ったから付けられた名前。  それでも、ただの誰でもない存在から、「ミナト」という人間になれたから気に入っている。 「すんません。毎日パスコードが違うから、もうわかんなくなっちゃって」 「いいよ、いいよ。2回間違えたら、ミナトくんが来たのだと思ってるからね」  そんな認識で、もし危ない人間が来たときはどうするのか。  こんなどこの誰かもわからない俺を拾うぐらいに人がよくて、心が広くて、優しいから、局長は疑うことをしない。  俺をここで面倒を見ると言ったときも、みんなが俺が悪いことをするのではないかと疑ったのに、局長だけは違った。  疑わないどころか、怒ることも、過去を聞くこともしないで、いつもニコニコしている。  それが不気味に感じることもあるが、基本的には優しい人だ。 「さあさあ、中へどうぞ」  不用心な局長に言われるがまま、局長室へと入る。  予想通り、掃除をしていたようで部屋の隅にはホウキやぞうきんがまとめて置かれていた。まだ終わっていないのか、窓際にある局長のデスクに置いていたのであろうものが、部屋の中心に置かれた漆黒のソファー前のテーブルに置かれている。  その中に固い顔をして若い頃の局長と、綺麗な女性、さらに澄んだ目をした癖のある髪をした子供がうつった写真があった。 「ごめん、掃除しててね。退かすから待ってて」  俺がそれを見たことに気づいいて、局長はササッとその写真や雑多のたちを全て自分のデスクへと運んだ。  何もなくなったテーブルを前に、漆黒のソファーへ向かい合うように座る。  ふかふかのソファーは、腰を下ろすと体が深く沈むようだった。 「この部屋に来るのも、今日で二回目かな? どう、仕事には慣れてきたかい?」 「仕事……っぽいことはしてないんすけどね」 「ふふふ。それはミオちゃんから聞いているよ。資料を前に魂が抜けているか、休憩といいつつ屋上で時間を潰しているって」  あ、バレていた。サボっていることも、仕事をろくにしていないことも。  さすがに怒られるか? 「キミはデスクワークに向いていないみたいだね」 「うっ……」    図星だ。  そもそもちゃんとした教育なんて受けずに、何とか生活をしてきたから、ろくに文字が読めない。なのに資料をまとめろなんて、できっこない。 「そんなミナトくんには、デスクワークじゃない、別の仕事を与えたいと思います」  今日呼び出した理由、本題へと入る。  眼鏡の位置を直して、笑顔のまま、局長は話し続ける。 「ミナトくんには、高校で潜入捜査をしてきてもらおうと思います」 「……はい?」  高校とは、勉強をするところのはず。  読み書きが不自由なのに、勉強する場所へ潜入とは何事か。 「その反応だと、資料は全く目を通していないみたいだね。ならば、簡単に説明するね」  そう言って局長は棚からファイルを取り出して、テーブルに資料を広げる。  何枚もの紙には、文字が並び、ジッと見つめるだけで眠くなる。  思わず出そうになったあくびを飲み込んだ。 「潜入先は、都内の私立、泉山(いずみやま)高等学校。全寮制の学校なんだ」  一冊のパンフレットを指し示した。おそらくそれが、高校の資料なのだろう。  自然が多く、綺麗な校舎。  写真の片隅にうつる生徒の顔は、にこやかである。 「この学校に通う生徒の保護者から、子供の行方不明届が全部で三枚出されている。警察からの依頼で監視カメラデータを調べたけど、校内、そして校外のカメラにもその生徒の記録がない」 「……それなら、チップがロストしてんじゃないすか?」  個人を識別するのはあくまでも体内チップ。サイズの小さなそれが、体のどこにあるかは知らない。  頭の中に埋め込まれているという説や、心臓にあるという説など様々ある。出生時に埋め込まれるのだが、その手法は秘匿。骨の髄まで燃やせば、チップも消滅するが、基本的な火葬では残っているらしい。だから死体に測定機を向ければ、個人の特定も可能だ。  逆に映像データを全て見なくても、データベースに名前を検索すれば、その人が映っている時間や場所の映像だけを見ることができる。    もしチップがなくなっていれば。  生死問わず体の中から探し出し、チップを取り出す。そしてそれを破壊する。それができたのなら、検索しようとも、映像に映っていても引っかかることがない。同時にチップを失った人は、人から物に変化するのだ。  死者でもチップがあれば人間。生きていてもチップが無ければ物。  俺と同じように、社会の理から外れることになる。 「その可能性は否定できない学校は生徒全員生きていると主張するんだ。怪しいでしょ? 警察が調べようにも、根拠がなくて動けない。そこで、私たちに仕事がやってきました」 「――それが潜入捜査っていうことすか」 「そう。でも、年齢的にほとんどの部下が不可能。おじさんばかりだからね。唯一行けると判断したのが、ミナトくんとミオちゃん」  自分の年齢はわからない。でも多分、背丈的に高校生ぐらいだとは思う。  ミオもほとんど同じ年だとは思うが、詳しくは知らない。  同じくらいの年にしては、やけに大人っぽい気がするけど。 「でもミオちゃんは、監視局のシステム全体を管理してるから一緒に行くことはできない……だから、一人で行って来てほしいんだ」  はい? 新入りの俺が?  一人で? 無理じゃない? 「何も犯人を掴まえろって言ってるんじゃない。警察が動けるくらいの証拠を、ちょこっと写真に撮ってきてくれればいいんだよ。もちろん、全力でフォローするから、安心して!」 「いや、そう言われても……」  できっこない。  中で事件が起きているかもしれない場所に行くなんて、自殺行為だ。  それにまだ、右も左もわからない二か月の新入り。監視局の仕事内容がどんなものなのかすらわかっていないというのに。 「行けるよね?」  断りたかった。  行きたくなかった。  死にたくないから。  やらなきゃいけないことがあるから。  でも、常時ニコニコしたままの局長の圧力がすごい。 「……はい」  返事は「はい」か「了解」か、「OK」。二つ返事しか受け入れてくれない局長。  基本はいい人なのに、こういうときだけは怖かった。
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