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第29話 抱かれたい気持ち
すぐにも先輩に疑いが晴れたことを報せに行きたい。でも、僕は躊躇した。自分の気持ちを知ってしまって、どんな顔して会いに行けばいいのかわからない。それにあんなに僕に迫っておきながらすぐに逃げてしまうから、本当のところがわからないんだよ。
あの時のあの言葉は、きっと嘘じゃない。思ってるけど、はぐらかされそうで怖い。やっとえん罪ストレスから解放されったっていうのに、新たなストレスがっ。うわあ、もうどうしたらいいんだ!
ところで……。一人でめっちゃ盛り上がったけど、これって実は凄いことなんじゃないか。先輩は間違いなく男だ。僕……男を好きだと思ったのは初めてだ。
今まで、可愛い女子や女性に憧れてきたし、好きだったし、触れたい、抱きしめたい、あんなことやこんなことしたい。普通の男子と同じように思ってきたんだ。それなのに、どうなってんだ?
――――あろうことか僕は、先輩に抱かれたいって思ってるんだよっ。
なんだか今すぐ駆けだしたくなるくらい恥ずかしい。まるで僕の人格がどっかの誰かと入れ替わったみたいだ。ドラマとかでよくある、あの魂入れ替えみたいなの。
いや、そうであるなら、その方がずっと楽だよ。苦しくて仕方ない。なんだよ、この胸の動悸は。一体僕はどうしちゃったんだ!
恋に焦がれる思春期の女子みたいに、僕はソファーの上でもんどりうった。先輩が昨夜被ってた毛布を抱きしめ……。全く誰かに見られたら救急車を呼ばれそうだよ。
――――はああ……。先輩、僕のことどう思ってるんだろ。
さっきからため息ばっかついてる。なんだか熱があるみたいに体が熱い。パソコンもスマホもないから、気がまぎれないってのもある。平日のテレビなんてアホみたいだし。
――――そうだ。カセットコンロ返さないと。
気のすむまで七転八倒してお腹が空いた。気付けばもう昼過ぎになってる。何か食べようとキッチンに行ったら、カセットコンロが目に入った。
今日返すって言ったな。そうだ、これは返しに行かないと。その時、疑いが晴れたって言えばいいんだ。僕は先輩の部屋に行く理由ができたことを喜び、その一方で、平常心で会えるだろうか不安になった。
――――とにかく……風呂入って着替えよ。
昨夜の大雪のなか、風呂にも入れなかったし服もそのままだった。このまま先輩に会いたくない。カセットコンロを返しに行くくらい、いつもならこのまま行っただろう。
でも、そんなことは出来なかった。僕は風呂に入り髭を剃り、ちょっとよそ行きのパーカーとデニムを穿いた。
何やってんだろう。そう思いながらもドキドキしながら階段を駆け上る。いつも軽い気分で昇ってた階段が、全く別物に感じた。
雪はもうなかったけれど全面が濡れている。午後には陽が差すとニュースで言ってたとおり、もう太陽が雲の合間から顔を出していた。風も昨日感じた肌に刺すような冷たさはない。
「おお、悪かったな。俺が取りに行ったのに」
インターホンを押すと、先輩はすぐ出てきてくれた。良かった。今日も在宅勤務だった。
「いえ、それが晴れて無罪放免になったんです」
先輩はいつもながらの黒いトレーナーにデニムといった装いだ。ストレートヘアも見慣れた姿なのに、胸がきゅんと鳴ってる。もう、重症だな。
「そうか、それは良かったな。うん、ホントに」
「はい」
「どうした? 上がって来いよ。もう家にいなくていいんだろ?」
「あ……でも仕事中なんじゃ」
玄関で突っ立ったまま、僕は躊躇う。やっぱりと言うか、先輩は昨夜のことはなかったかのような振舞だ。そうだよね。ホッとする一方、寂しい気もする。
「昼休みの間は大丈夫だよ。ああ、でも1時間後に会議あるか」
先輩はスケジュール管理しているスマホを眺めて残念そうに言った。
「あ、じゃあ僕はこれで。とにかく先輩に伝えたかったから。明日からまた通常通りになります」
「ん。わかった。とにかく良かったな」
「はい。ご心配おかけしました」
僕は笑顔で頷くと、先輩の部屋を後にした。こんなにも後ろ髪を引かれる思いでこの階段を下りることがあるなんて。
やっぱりまだ風は冷たかった。
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