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第34話 譲れない場所
消化に悪い揚げ物なんか頼まなきゃよかった。なんとなく胃もたれを感じながら先輩の車に乗り込む。
佳乃さんは僕のせいで、先輩に送ってもらえないのがムカついてるのかも。だから標的にされたのか。
「しかし、同棲はないよな。間違っても普通は同居かシェアだろ。あいつ、ホントに言葉の選び方わかってない。気を悪くしなかったか?」
うう、先輩優しい。僕が落ち込み気味なの多分わかってるんだよな。今日は練習中からずっとうまく行かなくて、参ってたんだ。
「いえ、大丈夫ですよ。なんかはっきりしてる方だから、気になりません」
ほとんど嘘だけど、先輩の一言で気分はいきなり上昇した。僕はこんなにも現金な奴だったのか。
「そんな『方』呼ばわりするほど上等な奴じゃないよ。遠慮なさすぎて、俺は引く」
どうも先輩は佳乃さんを必要以上に下げる気がする。人の悪口なんて絶対しない人なのに。だからこそ、逆に彼女との仲の良さとか近さを感じるんだけど、考え過ぎか?
「でも、仲良さそうじゃないですか……」
思い切って核心突いてみた。蛇出るかもだけど。
「あ? うーん、そうだな。あいつ、裏表がないから、男の同期より本音で話せるんだよな。協力するときも足の引っ張り合いする時も正々堂々としてるよ。そういう意味では仲良しを装ってる連中よりいいな」
やっぱり藪蛇だったか。先輩は佳乃さんのこと気に入ってるんだよな。大体そうじゃなきゃ、自分のプライベートの場であるフットサルに彼女を招いたりしないよ。
「そういや、旅行会社の彼女とはどうなった? 彼女は無罪だったんだろ? 失礼な言い方だけど」
ああ、それも先輩には言っておかなくては。でも、どうやって言おう。まさか真実をすべからく言うわけにもいかない。
「はい……でも、なんだかケチがついちゃって。向こうも思うとこあるみたいで、あれから連絡取ってないんです」
微妙な沈黙が流れた。ここで、黙るってどういうことですか。何かを期待する心臓が物凄く打ち逸ってる。
「そうか……じゃあ、別れるつもりなんだな」
僕の心臓がもたなくなる寸前で先輩が応えた。別にごく当たり前のせりふなんだけど、とても重く感じた。僕が何故そう決意したか、先輩は知る由もないはず。だけど、本当にそうなんだろうか。僕の心の変化に勘のいい先輩が気付いてもおかしくない。
「そうなると思います」
僕は慎重に言葉を選ぶ。まさか今ここで、先輩を好きだなんて言えない。気付いてないなら、今はまだそのままでいい。
「残念だったな。せっかく上手くいきそうだったのにな」
それ、本心ですか? 僕はすぐ横にいる先輩の顔が見たかったけど、それは出来なかった。
「いいんです、しばらくは。五代さんも……いないし」
いつも合コンを設定してくれた五代さんの処遇はまだ決まっていない。少なくとも研究所にはいられないだろう。
「そっか。じゃあ、当分俺に付き合えなっ」
左手で僕の肩を元気よく叩く。僕の勝手な思い込みかもしれないけど、声の質や張りも嬉しそうに聞こえる。もちろん、元気づけようとしてるんだろうけど。
「はい。そのつもりなんで、よろしくお願いします」
変な緊張感があった(当社比)車内がぱっと明るくなった。その後はまたワーケーションをしようとか、来週はフットサルをさぼってスキーにでも行こうかとか、楽しい話題で賑やかになった。佳乃さんには悪いけど、この場所は絶対譲りたくない。譲れない。
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