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第3話 寝不足のワケ
僕の職場では人間工学や情報についての研究をしている。と言っても、僕はまだ二年め。もうすぐ三年目にはなるけど、昨年はずっと研修だったから当然ひよっこ扱いだ。研究者のアシスタントで言われたことだけしてる状態。
もちろん僕だってやりたい、試してみたいテーマはあるけれど、それはまだ先の話。とにかく今は、僕よりもずっと天才な先輩達の頭の中を覗くことが先だ。実際すごく勉強になる。
研究所でやってる仕事は、おいそれと他人に言うことは出来ない。これもまた、僕の女難の一因だよな。
仕事は時に夜中や泊まり込みになることもあるのに、仕事内容を話せないからデートをすっぽかしても理由が言えない。話題にも事欠いちゃうから、退屈って言われても仕方ないかもな。おまけに同僚には若い女子は少ないし、出会いもない。
「どないしたん。ため息ついて」
デスクのPCの前で浮かない顔をしていたのであろう僕に、鼓膜に響く関西弁が聞こえてきた。僕が所属しているグループのサブリーダー、五代主任だ。四十歳近い独身で、ちょっと小太り。でも面倒見のいい人だ。
「五代さん、いえ、ちょっと睡眠不足で」
「そりゃあ、あかんな。寝不足は目にくるで。細かいデータとにらめっこしてんのに、気いつけな」
「はい、すみません」
そう言えばこの間フラれた彼女は、五代さん主宰の合コンで会った子だった。付き合うことになったと話してたから、言わないと……でも気が重い。
「あ、そや。美紀ちゃんとどうや? 寝不足ってそっちかあ?」
ああ、フライングされてしまった。しかも誤解してそうな彼の口角はびろーって上がってる。寝不足の理由がとんでもない妄想のためなんて口が裂けても言えない雰囲気。
「ああ、いえ。昨日、フラれました」
そう思えば、こっちの方は気楽に言える。もう終わったことだし、完全にどうでも良くなってる。昨日は傷ついてめそめそしてたのに。先輩のお陰と言えなくもないや。
「げっ。マジか……。まあ、しょうがないな。俺らみたいな因果な商売は、恋愛にはむかんのやろ。また合コン呼んでやるさかい、元気出せ」
「はい。ありがとうございますっ」
なんていい人なんだろう。僕は優しい先輩ばかりに恵まれて幸せだよ。合コンか……。僕はまたここで昨夜の柔らかい唇と生き物ように蠢く舌を思い出す。背筋に電気が走った。
――――うう。次の合コンでこそ、失敗しない。僕は伝家の宝刀を手に入れたんだから。
しかし、あれを自分がリードするなんてできるだろうか。どんな風だったか思い出す度に顔が熱くなるし心臓ヤバいんだけど。このワケわかんない感情にあれからずっと振り回されっぱなしだよ。
僕は画面に映し出される無味乾燥な英数字の羅列を眺めながら、今度は少し甘めのため息をついた。
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