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第40話 最悪の事態
僕の口はいつから僕の意志を無視するようになったんだ? こんなこと言うつもりはなかった。僕は自分だけが先輩を好きなことに、恥じているのか?
「気持ち悪いか……」
「そうですよ」
そんなことないって、思ってるのに。
「そうだな。悪かったな。俺の方が誤解してたみたいだ」
え……。
「じゃ、疲れてるようだから。またな」
先輩っ! 待って……。
振り向きもせず、先輩は玄関へと急ぐ。追いかけたいのに、僕の体は足かせがついてるように動けない。大好きなはずの人は、まるで風のように僕の手からすり抜けていってしまった。
簡単には説明できない自分の状況に、僕は自ら手を焼いている。何が悲しくてこんなことになってしまったんだろう。
日曜日の朝、僕が見たあのシーンは何を表していたんだ? 先輩は誤解だって言うんだから、誤解だったかもしれない。
『俺の方が誤解してたみたいだ』
先輩が残したこの言葉。これも謎なんだよ。いや、あまりに結果が恐ろしくて認めたくないんだ。もしも、僕が今思っているのが事実だとしたら。僕はとんでもないことを言い放ったことになる。
『男同士でヤキモチとか、そんな気持ち悪い』
これだ。これが今、僕を最悪の事態に陥れている。そうだとすれば、もう浮上の可能性はない。
――――いやいや、諦めるのはまだ早い。ちゃんと謝れば。真正面から向き合って自分の気持ちを正直に言えば。
そこまで考えて、また元に戻る。
『いや? 何言ってんのおまえ』
なんて鼻で笑われるかもしれない。『俺の方が誤解してたみたいだ』。これの持つ真実を誰か教えてくれ。
――――どないしたん、浮かない顔して。
聞こえた気がした。誰もいないのに。先輩とのことでもやった時、僕を癒してくれたものがあった。良く通るでかい声の関西弁だ。
――――五代さんはもうすぐ新潟に行ってしまうんだ。
気にかけていたけれど、職場ではもういないことが普通になってた。別に恋の相談をするわけでない。純粋に会いに行きたくなった。今までのお礼としばしのお別れを言いに。
それから一週間、割と地獄だった(割と地獄って、地獄なのか違うのか、どっちなんだよ)。
先輩とは朝しか会えない。いつもの時間に部屋を出たのに、こういう時に限って全く出会えない。言うまでもなく避けられてるんだ。
スマホを何度見ても先輩からのメールは来ない。僕からも出来ない。それでも激務は変わらないので、深夜近くまで仕事に追われた。
駅からの帰り道、僕らのアパートが見えてくる。反射的に先輩の部屋の明かりを確かめる。
――――そうか……僕は、ずっと前からこうしてたんだ。
先輩のことを好きだと気づく前から、僕はこの場所から先輩の部屋を見てた。明かりがついてたら、なんだかホッとしてたんだ。
――――馬鹿過ぎて、涙も出ない。
そう言いながら、涙を拭う。ちゃっかり泣いてる。先輩、仕事してるのかな、元気でいるのかな。元気でいるのならそれでいいや。佳乃さんとのことは誤解だったかもしれないけど、仲の良い同僚がいるならそれはそれで良いことなんだ。
――――仲の良い同僚か……。五代さんに会いに行くかな。
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