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第41話 かけがえのない人
土曜日、僕はフットサルをお休みする旨を先輩にメールした。出向する同僚に会いに行くと。
こんなギクシャクしたままフットサル場に向かうのは苦痛だったから、逃げたようにも取られたかも。先輩からは、わかった。と短い返信が届いた。
今週もまた、佳乃さんを乗せて行くのかな。彼女はまた先輩の家に来るのかな。気になったけれど、気にしたところでどうしようもない。
五代さんにはアポなしで尋ねた。不在なら、手紙でも残しておこうと思っていたんだ。
彼とはプライベートはもちろん、社内メールですら送れないようになってた。ひどい話だよ。会社としては、僕ら元同僚の攻撃から守ったつもりのよう。誰が攻撃するんだよ。
電車を一回乗り換えて、五代さんの住む街を歩く。何度かお邪魔したことがあったから懐かしくも思う。街路樹の枝に小さな蕾がついている。まだ固そうだけど、着実に花を咲かせる準備をしてるんだ。
コートの前を開けて歩を進めていくと、前方に五代さんの住むアパートが見えてきた。
「五代さんっ」
アパートの前、ゴミ置き場に粗大ごみを出す五代さんの姿が。
「あ、ハチやないか。なんや、わざわざ訪ねてくれたんか?」
少し瘦せたように見える。だけど、いつもながらの笑顔を見せてくれた。
「来週早々引っ越しやから、掃除しとったんや」
六階にある五代さんの部屋。積まれた段ボール箱があちこちにあり、それを縫うように中へと進む。
「ソファーも売ったから、そこらに座ってて」
「あ、お構いなく。僕、飲み物買ってきましたし」
「お、さすが。気いきくなあ」
僕はコンビニで買ってきた缶コーヒーとスナックをテーブル替わりの段ボール箱の上に置いた。
「随分迷惑かけたなあ。すまんかった」
五代さんは座るなり、頭を下げた。
「やめてください。五代さんのせいじゃないですよ。同僚の誰もそんなこと思っていません」
「そうかあ? そう言ってくれるのは有難いけど……。人事から色々言われて、俺、謝ることも出来へんかった」
「そんな。人事の言うことなんて嘘ですよ」
そうだろうか。少なくとも僕は五代さんに怒りを覚えていることは何もない。それにみんなからもそんな話は聞いてない。
だけど、それが本心かどうかなんて分かるわけがない。みんな、自分の身が一番可愛いに決まってる。そんなことは悪いことでも何でもないんだ。自分は潔白だと示すためなら、五代さんに全部責任を被せたって不思議じゃない。
「そうや、ハチ、菜々美ちゃんとはどうなった? まさか別れたんやないよな?」
あ、やっぱり気になりますよね。僕は口元を引きつかせた。
「別れることになりました」
「え……ああ」
「いえ、今回の事件が直接の原因じゃないんです」
缶コーヒーを持ちながらわかりやすく落胆した五代さんに、僕は慌ててフォローした。今回の事件(と大雪)のお陰で、ずっと自分が秘めていた気持ちに気づいた。だから悪いことばかりじゃなかったと付けくわえた。
「ほな、今その人とうまく行ってんのやな?」
「ああ、それはその、世の中そんなに甘くはなくて。苦戦してます」
五代さんに嘘を言っても仕方ない。大体僕は、こんなふうにグダグダと話をしたかったんだ。
「やっぱりな。なんや元気ないから、まだ事件のことで悩んどるのかとビクビクしとった。でも、そうかあ、恋愛は難しいからなあ」
苦笑する僕に、諦めたような、でも人懐っこい微笑を浮かべる。恋愛は難しい。五代さんにとっても、今回の事件には傷ついただろうな。
「僕はもしかしたら、その、かけがえのない人を心無い言葉で傷つけてしまったかもしれないです」
懺悔のつもりじゃない。多分僕は、話すことで自分のやるべきことを整理したかったんだ。五代さんに会いに来て、本当に良かった。
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