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第42話 大事な先輩
「かけがえのない人に心無い言葉をかけたんか」
引っ越しの準備に勤しんでいた五代さんをアポなしで訪ねた。懐かしい関西弁に、僕はまるで身の上相談のように話し始めていた。
「はい……バカでした」
「ほんまにかけがえのない人と思うんやったら、謝ったらええやないか」
「でも……」
「自分より、その人が大事やったらできるよなあ。俺がこんなん言っても、全然響かんやろうけど」
一緒に仕事をしていた時、五代さんは主任としてグループ内の若手の面倒を見ていた。僕たちは困ったことがあると五代さんに相談して解決してたんだ。
五代さんは仕事だけじゃなく、僕らの様子に気を配ってくれてた。以前、自分の後輩が心を病んで会社に来れなくなったことがトラウマになってると聞いたことがある。
「そんなことないです。そう思います。今も自分が恥をかくのを恐れて逃げてるんです。拒否されるのも怖くて」
「何でもないことや。命取られるほどじゃない。言わないより、言った方がええよ。俺の少ない経験値から言えることやけどな」
五代さんは今回の事件、響子さんとのことを話し始めた。僕がそうであったように、彼も誰かに話したかったんだろう。監査部や人事部でなく、友達と思う誰かに。
「あの子は、何かに追われてるみたいな子やった。歳は俺より大分下のアラサーやったのに、生き急いでるみたいでな」
何事にも結果を求める。恋愛も仕事も、人の評価が気になる。そんな感じだったと言う。
「パスワードのこと言われたとき、もしかしたら騙されてるかもって思うたんや。もちろんそれだけでは情報を抜くなんてできへんと思ってて。見込みが甘かったな」
結局そこから崩され、機密は盗まれてしまった。
「俺は彼女がなんでこんなに、収穫を得たいのかわからへんかった。ま、それが知りとうて、言われるままになったんやな。ほんまにアホな話やわ」
五代さんは自虐的に笑う。三上響子のことは僕らも詳しくは聞かされていない。菜々美ちゃんの話では、ヤバい組織の実行部隊だったみたいだけど。彼女にしても、こんなことをするのにはそれなりのワケがあったんだろう。
僕らはそんなこと考えもしなかったのに、騙されておきながら、五代さんは彼女の抱えていた闇が気になってる。
――――こういうとこだよな。憎めないっていうか。
「俺な、今度の仕事向いてるって思てんのや。会社からしたら懲罰人事なんやろうけど」
「ああ。うん、実は僕もそう思っていました」
新潟の農業センター。実のところ何してるか知らないけど、なんとなくそう感じた。
「ハチ、知らんやろ。人事のやることはえげつないで。俺の前任者は一年間、そこで水のバルブを開けたり締めたりしてただけや」
「え……」
「でもその人は、そうやって言われたことをするだけが、本社に戻れると思ったんやろうな。俺はもう戻る気はないさかい、やりたいことやってみるつもりや。ま、それも潰されるんやったら、見切り付けるけどな」
「五代さん……」
解雇されると覚悟していたから、辞めることは怖くない。五代さんは笑う。まだ独身やったのが良かったわ。と。
「ハチ、来てくれてありがとな。ほんまに……ほんまに嬉しかった。だからってわけやないけど、おまえの気持ちが大事な人に伝わるよう、祈っとるからな」
帰り際、僕の手を握って五代さんが言ってくれた。元の同僚と連絡も取れず、申し訳なさと孤独感で辛かったんだ。春の陽が入ったのか目を瞬いている。いや、太陽のせいじゃない。
「ありがとうございます。本当にお世話になりました。応援してるんで、どんなことになっても連絡くださいね」
その時は、微力であっても絶対に力になりたい。
「わかった。遠慮のうそうさせてもらうわ。ハチもちゃんと言えな。言わんと伝わらんよ、おまえの大事な先輩に」
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