第四章

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「看護師の方ですか。今、先生にもお伺いしていたのですが、三週間ほど前に、ここに怪我をした若者は来なかったですか?」 「はあ。今、そこで少し耳に入って来ましたけど……」  僕は思わず目を瞑った。ここで何か口を挟めばかえっておかしなことになる。忘れていたことにするか。いや、でも彼は今ここにいるのだ。 「そんな人は来ていないですよ」  ――――えっ? 今、なんて?  僕はジュリー看護師を見上げた。彼女は僕の方を見ることなく、警部に向かってはっきりと言った。いつもの紺色の外套にマフラーをきっちり巻き、毅然と立っている。 「ここにいらっしゃる患者さんは、みなウィンブルドンに住む方ばかりです。私の良く知る、町人の」  僕は驚きを隠せなかった、と同時に疑問が沸き起こる。何故、ジュリーは嘘をついたのだろう。何故、スコットランドヤードの刑事たちに本当のことを言わなかったのだろう。 「そうですか。お二人がそう言われるのならそうなのでしょう。わかりました。おい、コール、帰ろう」  不服そうな顔をしているコールにキャンベル警部は声をかけた。コール警部補は渋々といった表情で立ち上がり、先行する警部に続いて玄関を出ていった。  馬の鼻息が聞こえ、それが蹄の音に変わっていく。一頭立て、スコットランドヤードの馬車が去って行く姿を僕らは並んで見送った。 「あの、ジュリー、さん、どうして……」  馬車が見えなくなって、僕はそう尋ねた。何故か『さん』付けして。 「どうして、先生は本当のことをおっしゃらなかったんですか?」  だが逆に聞かれた。 「それは……ジョ、ジョシュアは僕の……」  僕の……そう言いかけた僕の口元をジュリーが食い入るように見ている。次の言葉を待っているのだ。 「僕の弟みたいなものだから。彼らに連れて行かれたら、どうなるかわからないじゃないか。もう少し、様子をみたくて」 「そうですか」  安堵なのか、不満なのか、ジュリーは僕にも見当のつかない複雑な表情でため息をついた。 「私は、そこで話を聞いておりました。もし、件の少年が彼だったとしても、悪いことはしていないようでしたし……」 「ああ、そうだね、友達を助けたようだし」 「男娼である以外は、です」  僕はハッとした。そうだ。ジョシュアは『男娼』の友達を助けたのだ。警部たちも言っていた。あのままロンドンの裏道にいたら、彼らを仕切っている連中に何をされるかわからないと。 「でも、ジョシュアがそうと決まったわけではない」  とりあえずそう言ってみた。そんなこと、僕はもう1ミリも信じていなかったけれど。 「とにかく……今回は良くても、また来るかもしれませんよ。それに、ウィンブルドンの住人に聞けば、私達がウソをついたのなんて、すぐわかってしまう……。一体次はどう誤魔化すおつもりですか?」  ジュリーの言うことは一々尤もだ。僕は何も言えなくて俯いてしまった。 「先生、ジョシュアときちんと話してください。私はずっと先生が心配でした。弟というのならば、兄としての責任を見せてください」 「わかりました」  僕は頭を下げる。ジュリーはコートを脱いでハンガーに掛けると、診察室に入っていく。僕はその後姿を追いかけるように、 「あの、ありがとう」  そう言って再び頭を下げた。
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