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その日、ジョシュアは自分の部屋(つまり、元は両親の寝室)に入ったきり出てこなかった。午後の診察が終わった僕は、夕ご飯の支度を済ませて扉をノックした。
「入っていいよ」
拗ねたようなジョシュアの声がする。僕は夕飯をトレーに載せ、部屋に入った。
「たまにはここでご飯食べようか。寒いなっ。ストーブをつけるよ」
「そうだね」
ジョシュアはランプに灯りをともす。ホワンとした温かいランプの灯りが部屋をぼんやりと移す。加えてストーブの炎がオレンジ色の輝きを暖と共に部屋へ与えた。
「イーサン、今日は……ごめん」
「いや」
「おばさんにも迷惑かけちゃった」
おばはんと言わないんだ。僕は少しおかしくなった。警部たちの話がこの部屋まで聞こえているはずはない。恐らく扉に隠れて聞いていたのだろう。この居住スペースと診療所を隔てる、たった一枚の扉の後ろで。
「さあ、食べよう。寒い日は暖かいものが一番だろう?」
「イーサンが作ったの? 食べれるかな」
「失礼な奴だな。僕だって、ポトフくらい作れる。でも、塩持ってきたから」
あはは、とジョシュアは笑う。そしてスプーン一杯口に放り込むと、悪びれもせず塩をふりかけた。
「酷いな」
「それはこっちのセリフだよ。全然味しないもん」
僕たちはその後、無言のままスプーンを動かした。パンを浸して、ソーセージを齧って。雪はもうなく、今夜の空には月が燦然と輝いている。
「聞かないの?」
ポトフを食べ終えたジョシュアがそう尋ねた。
「聞いたら、話してくれるのか?」
僕は最後のスープを飲み干し、皿を小さな丸テーブルに置く。これは父がお茶を飲みながら読書を楽しんだテーブルだ。お洒落な鉄製の足が付いている骨董品だった。
「どうしようかな……イーサンが、俺のこと、嫌いになってしまいそうだから……」
「何を聞いても、嫌いにならない」
「本当に? 追い出さない?」
金色の髪を揺らしながら、ジョシュアは首を傾ける。今、君が僕の前からいなくなることがどれほどに恐ろしいか。僕の気持ちを、君自身が一番よくわかっているんじゃないか? だから……僕を誘ったのかもしれないな……。
「追い出さない」
それでも、今の僕はそう言うしかない。
「良かった」
屈託のない笑顔を向けるジョシュア。でも、彼に屈託がないわけがない。あんなロンドンの裏道で暮らしていたのだ。
そう、ロンドン。僕もロンドンは見知った土地だ。医学を学ぶため、四年間あの巨大都市に住んでいた。
薄汚れた空気。馬車と蒸気自動車、人ごみ、溢れる異臭と光。田舎暮らしが長かった僕にとって、あの四角く切り取ったような空は窮屈でずっとなじめずにいた。
「イーサンは覚えてないようだけど。俺はイーサンと一度会ってるんだ」
ジョシュアは最近ほとんど使われていないベッドに腰かけそう言った。月の光を背にしょって、彼の白く美しい顔が影を作った。
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