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ジョシュアは僕の腕の中で震えている。握られた手はいつしか放たれ、両腕を僕の背中に回していた。
「イーサン、俺の事、軽蔑するだろ? 俺はロンドンの裏道に立つ男娼だったんだ。友達を見捨ててここに来た」
「まさか、ジョシュア。僕は君を軽蔑したりしない」
「本当に? 俺にはもう、イーサンしかいないんだ。イーサンだけだ。俺の大切な、俺の命。だから、俺をそばにおいて。なんでもするから……」
僕の腕の中でジョシュアはそう訴える。涙が陶器のように透きとおる頬を伝っていく。僕は彼の顔を両手で包み込み、唇を寄せた。
「イーサン……」
彼の弾力のある唇は浸り落ちる涙で少し塩辛い。僕はそれを舌で拭ってやった。
「何もしなくていい。ただ、僕の傍にいてくれればそれでいい」
「……そんなこと言われたの、初めてだ。何もしなくていいなんて……」
いつも誰かに何かを強要されて生きてきたのか、君は……。僕は暗澹とする気持ちを抑えられず、彼を一層強く抱きしめる。
「ごめん」
「何を謝るの? イーサンは何も悪くない」
ジョシュアはもう一度僕にキスを求める。僕はそれに応じた。
父の部屋に置いたストーブはいつしか燃料が切れて消えてしまった。僕とジョシュアはベッドの中でお互いの体温だけを頼りに暖めあっている。
裸の胸にジョシュアの絹のような肌が吸い付く。僕の腕を枕にした彼はつぶやくようにこう言った。
「イーサン……もし、またスコットランドヤードが来たらどうするの? ジュリーの言う通り、あいつらはすぐに気が付くよ。俺がここにいることを」
今朝訪れたスコットランドヤードの警部たち。確かにそのうちまた姿を現すだろう。
だが、ジョシュアの言うことが本当であれば、彼らはジョシュアを『保護』しに来るのだ。それならばやりようもある。彼の保護観察者に僕がなればいいのだ。最初に嘘をついたのはまずいが、何とかなるだろう。
「大丈夫だ。君は何も心配する必要はない」
「本当? 俺、今、幸せなんだ。幸せになったことなんか、滅多にないから落ち着かないよ。もし誰かに奪われるなら、俺は戦う」
「戦う? おいおい、それは僕に任せておけばいい。君が何かをしたら、ややこしくなるばかりだ」
そこまで言って、僕ははたと思いつく。サマンサの怪我の件。スコットランドヤードの警部たちの登場ですっかり忘れてしまっていた。
――――まさか、ジョシュアが何かしたんじゃないだろうな。僕とここにいるためなら、ジョシュアは何でもしそうだ……。
「俺、イーサンと一緒に暮らすためなら何でもするから。俺に出来ることがあったら、言って」
何でもする。ジョシュアはまた同じ言葉を繰り返した。それは例えば、家事をなんでもするとか、医者の手伝いのために勉強するとか、そういう言葉に置き換えることはできる。けれど……。
――――なぜか、もっと違う、もっと暴力的な響きを纏っている。
僕はそんなふうに思えて仕方がなかった。いつしか腕のなかですやすやと眠りに落ちるジョシュア。金色の長い睫毛が小刻みに震えている。その姿は愛おしくも、僕の心に不安な影を落とした。
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