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翌日、約束通り、僕はサマンサのところに往診に行った。
「先生、わざわざ往診来てくれなくても大丈夫でしたのに」
彼女の足首はカエルを呑んだ蛇のように膨らんでいたが、骨には異常がないようで、ただの捻挫だった。
「転んだということですが……あの、何か、人に押されたとかそういうことでは」
恐る恐るサマンサに僕は尋ねる。すると、彼女は僕の肩をぴしぴし叩きながら大笑いした。
「何を言ってるんですか、先生。石に躓いただけですよ。急いでいたんでねえ。午前中に行くつもりがお昼になってしまって。まあ、結局行けなくてすみませんでした」
石に躓いた。そうか。僕はそれを聞いて安堵した。ジョシュアが関係していたわけではないのだ。今の今まで、もしかしたらと疑っていた。少し申し訳ないことをした。そんな気持ちにもなった。
「しばらく行けないです。買い出しはうちの人に持っていかせます」
「ああ、いや、サマンサ。それには及ばないよ。ジョシュアがもう普通に動けるから。あいつにやらせるさ」
「おや、そうですね。でも、若い者をいつまでもそんな家事手伝いのような仕事をさせていてはいけませんよ」
確かに言う通りだ。彼は不幸にも学校へほとんど行っていない。何か仕事をさせるにしても、考えてやらなければならない。
「サマンサの言う通りだね。つい便利に使ってしまっていたよ。彼がどうしたいか聞いてみるよ」
「先生、あの子の面倒を見る気なんですか?」
僕は言葉に詰まった。この街に彼は馴染んできたといっても、まだ素性の知らない宿なしなのだ。彼にはここにいる理由が必要なのを、サマンサの問いで気づかされた。
「ジョシュアは身寄りがない子なんだ。まともな教育も受けてなくてね。僕は独り身だし、当分の間、面倒をみることにしたんだ。なんでも器用にできるから、そのうち仕事にもつけるだろう」
サマンサは僕の言葉が全部終わってから大げさにため息をついてこう言った。
「先生ならそうするかと思っていました。確かに、ジョシュアは人懐こいし器用ですからね。でも先生、人の道に外れたことだけはしないでくださいよ」
「ええ?! 全くどういうことなんだか。ジュリーもサマンサもブラウン男爵に影響され過ぎですよ。僕は女性にしか興味ないと言ったじゃないですか」
「そんなつもりで言ってませんけど?」
意地悪な笑みを浮かべてサマンサが僕を見る。なんだ、僕を試したのか? 全くこの街のご婦人どもは油断も隙もない。だけど、見透かされているようで怖い。
「人が悪いなあ。僕はもう帰ります。しばらく歩いたらだめですからね」
サマンサが笑いをこらえて頷くのを見届け、僕は診療所へと戻った。とにかく、サマンサの怪我は自分で転んだのだとわかった。これだけでも安心だ。
石? 石を道に転がしたのだとしたら? 何を考えている。たとえジョシュアが石を転がしたとしても、それに器用に乗り上げて躓く可能性は低い。そんな偶然、考える必要もない。
自らの下らない妄想を打ち消し、僕は改めてジョシュアとの今後を考えた。
――――養子にするのはどうだろうか。いや、彼の戸籍があるか怪しいものだ。
それなら戸籍を作り直せばいい。その方が早い。
――――姉さんに手紙を書いて、僕の弟にする。それが難しいなら子供にしてもいい。僕はもう成人している。彼が未成年であれば、可能なはずだ。
幼い娘を養女にして、娘が長じてから妻にすることは、貴族たちの間ではよくあることだった。もちろん平民の僕たちにも商家などでは珍しくない。
――――ああ、何だか一人で盛り上がってしまったな。とにかくジョシュアに相談してみないと。
いつの間にか小走りになっていた。僕の目の前には診療所が変わりなく佇んでいる。
木戸を開けると、つい昨日、二人で雪を掃いた道が玄関まで続いている。その両側には今は何もなく盛られた土があるだけだ。春になったら、サマンサが植えてくれたチューリップやクロッカスが可愛らしい花を見せてくれるだろう。
――――春になったら、ジョシュアと庭に出て、お茶を飲もう。春の花を愛でながら、暖かい光を受けて。
僕は音を立てて扉を開ける。ジョシュアの待つ、僕らの家へ通じる扉を。
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