人生で一番長い一日

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「すごい風」  春の嵐のような冷たさを含んだ風が、更の髪をなびかせて去ってく。  分厚いホルダーに収められた卒業証書の重みを肩に感じながら、更はぼんやりと昼過ぎの見慣れた街並みを一人、歩いていた。  私たちにとって卒業式という日は、ただのセレモニーに過ぎない。高等部を卒業しても、ほとんどの生徒は同じ大学へ進学することが決まっていた。更もそのうちの一人だった。代わり映えのしないメンツ、いたって普通の大学生だ。  ただ一つ、そこに通う若者は、魔道の『力』を使えるという点を除いては。  自分にどんなに特別な『力』があろうとも、特にそれでどうしようという目標もない、ないけど――。更はそれ以上深く考えるのをやめた。  母に、卒業証書を見せる――それが今日最後のミッションだ。  二人が住むマンションは、3年前に更の進学のために引っ越してきたばかりだった。母の職場である警察署と学校の中間地点……のはずだったのにマンションは学校から絶妙に不便な場所だった。母に騙された、と思ったのはこれが一度や二度ではない。  確かに、飲食店も食料品店も歩いて行けるし便利だけど。料理をしない親子にとってはありがたいことこの上なかった。  ふっと、肩まで伸びた栗色の髪を風がかき乱していった。冷気を含んだ風が首を撫でていく。その風に乗ってかすかに嗅いだことのない匂いが混じっていることに気付いて、更は顔をしかめた。 「なんか、焦げ臭い?」  そういえば、サイレンの音がするような……。  マンションに近づくにつれ、更の悪い予感は確信へと変わっていく。目に飛び込んできたのは、黒煙をあげるマンションの姿だった。 「嘘でしょ……」  更は、心臓がどきどきして呼吸が荒くなる。息を切らして角を曲がると、呆然と立ちすくんだ。道行く人はみな揃って吸い込まれるように同じ方向を見上げている。
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