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「すみません!!」
「危ないから、ここは立ち入り禁止だよ」
年上の方の男が、不機嫌そうな低い声で制した。
「でも、5階のうちの部屋のすぐ上が燃えてるんです!」
「なんだって?」
「あなたの部屋に残っている家族はいますか 」
部下とおぼしき、もう一人の若い男がていねいに、だがはっきりと尋ねた。
「家には誰もいません、でも、他の部屋の人達はどうか分かりません」
返事の代わりに、若い男は軽くうなずく。
「所長、どうしますか」年配の男へ、指示を仰いだ。
「私は消防に確認して、救助の援護をする。君は――もしできるならこの強風をなんとかしてくれ」
「分かりました」
強風をなんとかする? どういう意味だろう。更には、その言葉が何を指しているか分からなかった。でも、もしかして……?
「君、君は危ないから、安全な場所で避難していてくれ。いいね」
更に念を押すと、年配の男はマンションの建物へと足早に向かって行く。
どうしよう――更は男を目で見送ると、振り返った。
その場にとどまった若い男は、空を見上げている。黒煙を巻き上げるような激しい風をにらむように見つめていた。薄茶の長い髪が風で揺れている。
更はその男の横顔を見た途端に、目を奪われてしまった。なんて涼しげな顔をした男の人なのだろう。色白で細身。鼻筋が通るすっきりした顔立ちで、薄茶の肩にかかる長い髪は首元で結んでいた。
学校に男子は大勢いたけれど、こんな人――見たことない。
「ひとつ聞いてもいいですか?」男がおもむろにこちらを向いた。
「え? はいっ、何ですか?」更はあせって声がうわずってしまった。
「この辺りで、屋上まで登れるビルはありませんか。できれば、火事になったマンションが見渡せるような所で」
「あ、ええと、それなら、向かいのあのビル――あそこは屋上まで登れます。立ち入り禁止みたいなんですけど、施錠してないので、時々友達と……」
いやだ。これじゃあまるで自分が不法侵入者みたいじゃない。そう思いながらも、更は屋上に看板がいくつもついた雑居ビルを指さした。
男は、更の指さす方向を向いて少し目を細める。ビルは大通りを挟んだ向かい側だ。でも、そんなこと聞いてどうするのだろう。
「分かりました。あの雑居ビルですね」
「あの、私、案内しますっ」
「いえ、一人で大丈夫です。あなたは安全な場所に避難してください」
澄んだ低い声でそう言われると、怖いくらい威圧感がある。
「でも私、ここにただじっと見ているなんて、できません。案内させてもらえませんか」更は必死な目つきで言い返した。
その男は、もう一度見上げる。放水はとめどなく続けられているが、煙も強風も収まっている気配はなかった。
男は更の方を向くと、表情をひとつも変えずに告げた。
「急ぐので走ります。私は断りました、あとはあなたの意志ですから」
そう言い終えるか終えないかのうちに、更の目の前から姿を消していた。
あっと思う間もなく、その場から走り去ったことに気付くと、更も後を追うように走り出すのだった。
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