人生で一番長い一日

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「何、あれ」  野次馬をしていた人々が、かわるがわる声をあげた。みな、吸い込まれるように空を見上げている。  光の柱が天に向かってゆっくりと伸びていった。薄い青緑の光が、まるで絵の具のついた筆を水で洗うかのように天に広がっていく。  やがて薄緑の光が、ステンドグラスのように固まって、あたり一面に張り付いた。その下の空気は蓋をされたかのように、静かになっていく。 「空が、風が、動きを止めた」更が、ぽつりとつぶやいた。  あれほど吹いていた風が、ぴたりと止んだ。  空は、急速にその色をにごらせていった。薄い灰色から、墨をたらしたかのような濃い色へ。  今にも雨が降りそう。  更がそう思った瞬間、雲の下で張り付いた光が粉々に砕け散った。割れたその破片は、パラパラと音もなく降ってきて、更の肩に触れる時には、もうすでに雨へと変化していた。  とめどなく降り注ぐ雨は勢いを増し、街のあらゆるものを濡らしていく。 「そうだ、火事は――?」  マンションの上階に目をやると、煙は急速に弱まっていた。風が止んだおかげか、はしご車からの放水はまっすぐに大量の水を火中へと注いでいる。更の目から見ても、火の勢いが収まりつつあるのは明らかだった。 「こんなことできるなんて――」    「強風をなんとかしてくれ」と頼まれていたけれど、本当に天気を操るなんて、そんなことできる人がいるなんて。   まさかのソーサラーだというのだろうか。いや、実在することは知っている。そういう仕事が今もあることも。  ――自分の父がそうだったように。    人を救えるような、大きな『力』を操る人は本当にまれだ。強大な『力』を持つ者は、ソーサラーと呼ばれる魔道士になれるという。国から命を受け、その力を人のために生かすのだ。  この国は古代から、ソーサラーによって他国の侵略をしりぞけたという。 「あれ、あの人は――?」  更は自分が雨で濡れていくのも気にとめず、男の姿を探した。  けれど、もうビルの屋上にその人の姿はなかった。
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