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ビルの1階まで降りきると、サイレン音と人々のざわめきに、更は自分の存在する現実世界に一気に引き戻された。
そうだ、火事は無事に収まったようだけれど、ぼーっとしている場合じゃない。マンションのロビーの一室に管理会社の人がいたはずだ。早く行って、母に連絡しなければ。
でもなあ。母の不機嫌そうな顔が浮かぶ。
仕事中に連絡することをとても嫌がるのだ。そもそも連絡がつくかどうかも分からないけど――そんなに忙しいものなのか警察という所は。
ああだこうだと考えながら、マンション敷地内にある小さな公園まで歩いてきていた。避難しているマンションの住人達だろうか、行き交う人はみなせわしない表情を見せている。
「あれ、あの人確か……」
街灯の当たらない垣根の暗がりに、見覚えのある女性が寄りかかるようにして立っていた。
その人は、上の階の火事になっている部屋の住人だった。
何度か挨拶をしたことがある、上品でいつも身ぎれいな格好をしていた女の人。だが、今日は一点を見つめて、うつむいている。木陰にいるからだろうか、更にはひどく顔色が悪く見えた。
「あの……大丈夫ですか?」
女性は生気のない表情で見上げた。更の記憶にある、華やかな雰囲気は見る影もなかった。
「ああ、あなた確か下の階の。……ごめんなさいね、ご迷惑掛けて」
「いえ、そんなこと。もしかして体調、悪いんですか」
「消防の人に待っているよう言われたんだけど、全然来なくって。ちょっと疲れたから」そう、消え入りそうな声で力なく微笑んだ。
「私、消防の人を探して呼んできます」
「待って!!」
女性は声を張り上げると、走り出そうとする更の手首をつかんで制する。強い衝撃で引き留められ、更は驚いて振り返った。
「いいえ、大丈夫よ。そんなことしなくても!」
「でも……」
女性は更から素早く腕を離すと、すぐに手の平を閉じて胸に引き寄せた。
「それ……もしかして手を火傷したんですか?」
更は、掴まれた手首が異様に熱く感じられたことに気付いていた。
「たいしたことないから大丈夫よ。みなさんのお邪魔になっては悪いもの。」
手の平を隠すように握ったまま、顔をそむけて黙ってしまう。
更は、ためらいがちに口を開いた。
「――あの、手を見せてもらえませんか、私、治せるかもしれません」
「え? どういうこと?」
女性は目を丸くして聞き返してきた。
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