プロローグ

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「魔法、使い?」    その単語は想像どおりではあった。 箒に乗って宙を飛んでいた女が、魔法使いでなければ他になんと呼称すればいいのかわからない。  だが、どっからどう見ても、という台詞は否定させてほしい。なぜなら女の格好は魔法使いのトレンドマークであるローブを着ているわけでもなく、三角帽子をかぶっているわけでもないからだ。女は左胸の位置に黒猫のロゴが刺繍された紺色のトレーナーを着て、黒のスウェットを穿いている。近所のコンビニに出掛けるようなラフな服装だった。  それはともかく、箒に乗っていたこの女を表すのに適しているその単語は、現代においてあまりに空想すぎるため、信じろというほうが難しい。だから俺は、この女の口から魔法使いだと告げられるまでは、その正体に薄々勘付いていながらも確信が持てずにいた。いや、こうしてはっきりと告げられた今でさえ、俺はその正体を認めることができていない。 「ようするに俺の身体が動かないのは、おまえが魔法使いで俺に魔法をかけているからだって言いたいのか?」 「そういうこと。まあ厳密に言うとボクは魔法使いじゃなくて魔術師。だからこれも本当は魔術なんだけど、君に違いなんてわからないだろうから、とりあえずわかりやすいように魔法って認識でいい」 「ふざけるな。魔法なんてあり得てたまるか」 「あり得るから、君は動けてないんだろ」    空野はすたんっ、と猫のようなしなやかさで箒から降りると、俺の顔を上目遣いで覗き込んできた。身体が動かないせいで、全神経が眼球に集中しているからか、空野の容姿を見て思わず心臓が跳ねた。まじまじ見ると空野はかなり可愛い顔をしていた。  ウェーブがかかった艶のある長い黒髪。猫みたいにくりくりとした瞳。筋の通った小鼻。少しぷっくらした唇。顔を構成するそれらのパーツが、小さな輪郭の中に無駄なく綺麗に配置されている。動物にたとえるならまず黒猫といった印象だ。  空野が手に握っている箒は、落葉が掃けそうな長い穂先に、柄の先端にはそれなりに大きな扇形をした木製の板がストラップのように紐でさげられていた。 「よし。それじゃ右手上げて」    含みのある笑みを浮かべて、 なんの脈絡もなく空野が言った。  いきなり何を言い出すんだと訝しんだところで、けっきょく俺は身体を動かせない。なので俺は右手を上げることはできないはずなのだが、唐突に自分の意思とは無関係に、右手が上がりだしたのだ。 「え、は?」 「次はねー、左手上げて」  空野がそう言えば、今度は勝手に左手が上がる。 「右手下げないで、左手下げる♪」  右手を下げないで、左手が下げられる。 「よーしっ、この調子でどんどんいってみよ!」 (このリズムって小学生の低学年くらいのころに遊んだ旗揚げゲームのリズムだよな……?)    ゲームマスターからリズムよく下される指示に従って、両手に持った旗を上げ下げするゲームだ。ただ、自分の意思とは関係なく勝手に腕が動くような、こっくりさんレベルのホラーゲームではなかったはずだけど。  そんなことを考えているうちに、一周目より上げ下げの回数が増えた、二周目の旗揚げゲーム……ではなく勝手に手上がるゲームが終わっていた。 「どうかな? 君のこと魔法を使って動かしてるんだけど、これで少しはボクが魔法使いだって信じる気になった? それともまだ信じられないっていうなら三周目にいってもいいけど。そのかわり次は超絶ベリーハードモードね」    空野の思惑がわかった。この勝手に手上がるゲームの勝手に手上がる要素は、空野の魔法が関係していて、こいつはこのゲームで自分が魔法使いだと証明しようとしているのか。俺の身体は魔法にかかっていて、かけた側である空野は俺の身体を好き勝手操れるということなのだろう。  これはまぎれもない魔法――待て。魔法にしては地味というか、超能力や催眠術のたぐいだと言われたほうがしっくりこないか。それこそテレビのドッキリ企画とかでよく見るようなやつと大差がない。 「今、超能力とか催眠術のほうがしっくりくるって思った?」    俺の心を読んだのか、頬を膨らましている空野にじろりと睨まれた。なんとなく地雷を踏んだ気がするのは気のせいか。図星をつかれてもそっぽを向くことができない俺は、せめてもの抵抗で視線を逸らしてから、言った。 「それは読心術かな?」 「やっぱり思ってるじゃないか! さっきも言ったけどボクは厳密に言えば魔術師なの! だからこれは魔術なの!! そんなぽんぽん炎も氷も出せないし、空間転移とかご大層なものはできないんだよ!!! だからって催眠術とか超能力なんかと一緒にすんな!! ましてや読心術だって!? ふざけんな!! 魔術はエンタメとは違うんだ!!! 難癖つけるつもりなら超絶ベリーハードモード強制周回させてやるからな!!!  それと……! 今のは読心術でもなんでもなくて、君のポーカーフェイスが下手くそなだけだから! この大根役者!!!」    空野はぷんぷんという擬音を大爆発させて、ぜーはーと肩で息をするほど怒り散らした。魔法をバカにされたことが癇にさわったのだろう。  だが、どこにでもいるような平凡な高校生である俺には、どんな異能だろうと違いなんてわからない。ただ俺は身体の自由を奪われていて、その原因が空野に起因しているということは、認めるべきなのだろう。 「とりあえず、おまえが魔法使いっていうことはなんとなくわかったよ」 「絶対嘘。ボクのことバカにしといて、そうやっていいかげんに言っとけば機嫌とれると思ってんの?」 「そんなこと思ってない。俺には魔法も魔術も超能力も催眠術も違いなんてわからないし、それを今理解しろって言われても多分できない。だからおまえが魔法って言うなら俺にとってそれは魔法なんだよ」    空野は俺の出した結論に、不服さを全面にだしてあからさまに顔を歪めたが、やがて「都合よすぎでしょ。でも、君が理解できないっていう点に関しては一理ある。だからひとまずはそれでいい」と、渋々といった様子で納得してくれた。 「お互い少し落ち着こっか。君は自分の意思で身体を動かせないだろうけど、その口はずいぶん生意気みたいだし。ボクはもう喧嘩は避けたい」 「こんな状況で落ち着けると思ってるのか。たちの悪すぎる金縛りにあっているようなもんだっていうのに」 「それなら頭も冷えるしちょうどよかったね。……はあ。そういうのをやめてって言ったつもりなんだけど」 「――――。」  俺はけっして、心霊現象にあって肝が冷える、というユーモアなニュアンスを込めて言ったつもりでは断じてない。よって何がちょうどいいのかさっぱりわからない。  しかし、落ち着こうという空野の意見には賛成だ。俺の身体の主導権が空野にあるかぎり、俺が何をどうしようと考えたところでどうにもならない。ここは冷静になる必要がある。 「ねえ、少しお話ししよ」  空野の声質が急に柔らかくなった。 「……さっきからずっとしてるだろ」 「なんで君は自殺しようとしていたの?」  だからタイミング的にくるとわかった。 「そんなこと訊いてどうするんだよ」 「本当にほんとにどうしようもない理由だったら、ボクの気も変わるかもよ?」 「なんだよそれ。自殺させてくれるっていうのか」 「……ごめん気が変わるは嘘。死なれるなんて絶対に嫌だ。でも……ねえ、お願いだから訊かせて」  空野の猫のようにつぶらな瞳がまっすぐ俺の目を射貫く。その瞳は、飼い主に餌をせがむ甘えん坊な猫を連想させて卑怯だと思う。 「ちなみに、話してくれないなら君をずっとここに放置するから。朝になってこの教室に生徒が登校してきても銅像みたいにしちゃうから。それが嫌なら話してね☆」  前言撤回。こいつは野生に揉まれ勇ましく狩りをするタイプの猫だ。  というか、空野が短気だということをそろそろ断定してもいいころ合いだと思う。 「脅迫はいけないことだって知ってるか?」 「知らなーい」  空野はぷいっと顔を背けてから「そもそも君、本当は自殺したいなんて思ってないだろ」と、そんなでたらめなことを言ってきた。 「――――は?」  空野の言っていることはおかしい。  確かに俺は、これからどうすればいいのかわからないし、屋上に行くつもりもすでにない。だからといって死にたくないわけではないはずだ。  大切な〝何か〟をなくした苦しみに折り合いをつけて生きていくなんて俺にはできない。できないから実際に俺は自殺を試みたのだ。空野がいなければ俺はとっくに死んでいる。  だというのに、空野は俺に向き直ってまだ言葉を続けている。 「だって君、ボクとの口論の最中に一度も死にたいって言わなかったし」 「――――。」 「君は屋上に行くって言っただけ。そのあとどうするかは一言も口にしてない」    それは、言わなくてもわかると思ったからだ。  そんなことで、俺が本当は自殺をしたくないと思っている根拠にはならない……はずだ。 「自覚がないなら、今ここで言ってみなよ。君は屋上に行って、そのあと何をするの?」 (何を、するか……だって?)    決まっている。何を当たり前なことを。そんな当たり前なことは、簡単すぎてつまらない。――――なのにどうして、俺の喉は震えていて、声は詰まっているのだろう? 「ほら、そういうこと。……だいたい、死にたいと思ってる人の口から、殺す気か! なんて言葉がでてくるのおかしいでしょ。だってそれじゃあ、死ぬことを怖がってるみたい」    どくんっと心臓が跳ねた。空野は一歩ずつ確実に、俺の心に踏み込んできている。  ――そうだ。俺は飛び降りたとき、死ぬのが怖いと思った。 「それに、死んだって勘違いしたときだって、悲しそうな顔してた」  ――そうだ。両親よりも早く死んでしまったことを後悔した。 「今も同じ顔してるね。  ……ボクにさ、話してみてよ。それでもし死ぬこと以外の解決方法があったなら、わざわざ嫌なほうを選ぶ必要もなくなるんじゃないかな」  魔法使いというのは本当に人の心が透けて見えているのか、それとも俺のポーカーフェイスが絶望的に下手くそなのか。どちらにせよ、空野の言っていることはどれも俺の核心をついていて、すでに俺は空野の言葉の意味を認めてしまっていた。 「一人で抱え込むと視野が狭くなっちゃうからよくないよ」  ……どうして空野が、今にも泣き出しそうな顔をしているのだろう。 「だから訊かせて。君が死んじゃうのはボク嫌だな……」  そんな顔は見ていられないので、どうやら俺は観念するしかないらしい――。
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