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「いやいや、私の事は気にしないで。もう帰ろうかと思ってたところだし。」
「でも・・・。」
「お願い、洋にぃ、隅っこで静かに勉強するからさ。」
思いの外必死な声が出てしまったのだろう。
碧の声に洋一は、またしてもはぁと深いため息をついて、
「じゃ、端っこの机でやれ。」
とだけ言って洗い物に戻ってしまった。
「やった!」
小声で喜ぶ碧の方を見て、玄さんが親指を立てる。
やったな、の合図らしい。
こうやって、玄さんは碧の事をよく助けてくれるから、
碧は玄さんが大好きだ。
「ありがと、玄おじさん。もう帰る?」
「ああ、今日は孫が早く帰ってくるって言っててな。
一緒にお菓子を買いに行こうって約束したんだ。」
にこやかにそう言う玄さんの言葉に、一瞬何か鋭い物で切られたような痛みを感じるが、碧は極力顔に出さないように気を付けた。
自分の表情でこの優しい常連客が嫌な気持ちになるなんてあってはならない、と。
碧はグッと腹に力を入れて、顔に笑顔を張り付ける。
「わぁ、いいなぁ玄さんのお孫さん。
じゃ、遅くならないようにそろそろ帰らないと、だね。
お孫さんが帰ってきた時玄さんがいなかったら悲しくなるよ。」
「いやぁ、そこまで待ちわびていてくれたら嬉しいんだけどね。」
好々爺というにはまだまだ若い玄さんは、それでも嬉しそうに代金を払って帰って行った。
「いいなぁ。おじいちゃんとお買い物・・・か。」
ポツンと呟いた言葉は、店内に流れるリラックス音楽のBGMにかき消されたが、その表情は今にも泣いてしまいそうなほど悲し気だった。
「アオ、いつまでそこにいるんだ。勉強しないなら部屋戻ってろよ。」
洋一がさっきよりも砕けた口調で話しかけてきた。
店内に客はおらず、何より、家族間の気安さから出る口調だった。
「えっ、やるよ、やる。今から。
だからさ、ここで勉強させて、お願いっ。」
いつも断られるお願いを、居なくなってしまったとはいえ玄さんの前でOK出したからか、
洋一はダメとは言わず碧に背を向けてグラスやカップの片づけを再開した。
「へへへっ。今日はここで勉強できる。嬉しいなっ。」
店の端に置いてある、一人掛けのテーブル席は、碧の指定席のようなもので、碧はよくその席を利用した。
ここからだとカウンターの中にいる洋一の姿が良く見えた。
お客とたわいもない会話をしている姿も。
美味しくコーヒーを淹れるために真剣な顔つきをしている所も。
全部盗み見る事のできる貴重な場所だった。
特別混んでいない限り使われないそのテーブルは、
いつも碧のために空けてあるようなものだった。
古めかしい店の外観から新規のお客はたまたま飛び込んでくる数人しかおらず、後は馴染みの客が通ってくるのみ。
道楽でやっているならまだしも、これが生活の基盤となっている仕事なのでいつも家計は火の車だ。
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