封筒

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封筒

「すみません。郵便局って…ここで合ってますか?」 自動ドアの開く音がして藍花は顔を上げた。 「郵便物の受付でしたらこ……え!?」 決まり文句を言い始めた彼女は、その人物を見て固まった。手汗が吹き出す。頭が真っ白になる。誰であろうとお客様だ。冷静にならなくては、必死にそう言い聞かせる。 「い、いら、いらっしゃいませ。時間外受付の窓口でしたら、あちらです…」 藍花は手を震わせながら片腕を左側に伸ばして促した。 「あー…どうも」 帽子を目深に被りマスクをした彼は、藍花の前を通り過ぎていった。ほっとしたのも束の間、すぐに彼が戻ってきた。 藍花はぎょっとする。瞬間的に頭上に目をやると、(ふち)だけ金色の透明な輪が乗っている。まさかそんなはずは、と思い目を擦った。 「あの」 「…ふぁっ!ふぁい!なんでしょう!」 目が合い話しかけられた。何とか返事をしたけれど声が上擦ってしまった。高揚感が抑えられない。 「窓口はここだって、あっちのお姉さんが。お願いできます?」 「ど、どうぞ。すみません。ちょっとよろしいですか?」 「…?はい」 彼の返事を聞いて藍花は後ろを向いた。頭の中で整理し、もう一度冷静になろうと試みる。 (ちょっ!どうなってんの!?何で!?急ぎの郵便じゃないの!?何か乗ってるように見えたけど…幻覚だよね!?だってそんなことあるわけないもん!!疲れてんのかな私…冷静になれ。冷静に…) 彼女は深呼吸してお客様に向き直った。やはり見間違いではない。藍花は小声で尋ねた。 「…あの…大変失礼ですけど…Never landの晴翔(はると)くん…ですよね…?」 彼は、はっとして困ったように目尻を下げた。 「おっかしいなぁ。滅多にばれないんだけど…はい。そうです」 藍花がデビュー当時から追い続け応援している人物と顔を合わせ会話をしている。信じられなかった。 「あっ…あの!私、デビュー当時から晴翔くんのファンでっ!デビュー記念の握手会も行かせていただきました!ネバランの曲にはいつも救われていて…!それからえっと…あのっ」 彼女は必死になった。こんなチャンスは二度とない。晴翔はマスクを取り、ありがとうと微笑んだ。そして制服に着けられた名札を目にした。 「デビュー当時からってことは…アイカ?さんも俺と同世代なのかな?」 「…今、名前を…やばい。どうしよう無理…っ」 彼の口から名前が出た瞬間、藍花の瞳から涙がぽろぽろと零れた。相手が驚いているのが分かったけれど、止められない。 「えっ」 「は、はい…うっ…す…すみません…ごめん、なさい…まさかお話できるなんて思って、いなくて…本当に…大好きで…勝手ですけど、色々、お世話にっ」 涙が止まらない彼女を見て晴翔は一瞬驚き、緩く微笑んでポケットからハンカチを取り出した。 「どうぞ」 その仕草に藍花の胸はさらに締め付けられた。恐らくどんな動きであっても感激するだろう。ハンカチを受け取ったけれど、それを使うことなど到底できずカウンターの奥にあるティッシュで涙を拭い鼻を啜ると深呼吸した。少しだけ鼻声だ。 「取り乱してすみません…ハンカチありがとうございます…洗ってお返ししますので。それで…どういったご用件でしょうか?」 藍花の声色が分かりやすく高くなったことに晴翔は小さく笑い、視線をちらりと藍花の背中の羽根に向け、話し始めた。 「いいよ。ハンカチ一枚くらいあげる。デビューから応援してくれてるお礼!何だかよく分からないうちにここに来てて…そしたら黒いフードを被った人が近づいてきて『こちらの監視ミスですので郵便局で手続きをお願いします』って言われたんですよ。アイカさん意味分かります?」 藍花の表情が硬くなった。頭上の輪が染まり切っておらず白抜きなのは今起こったばかりだからか。全身黒でフードがあるのは死神の制服。自ら命を絶った藍花の元職場だ。彼女は選択肢を増やすためそこで徳を積み、天使に転生し職種を変えた。羽根の色が濁っているのは前職の名残りだ。そうしてやっと手に入れたのが引き出しに入っている封筒だった。 「ミスって…何でよりによって晴翔くんなの。黒いフードの人から紙貰いましたよね?見せて貰えますか?」 晴翔は魂分証明書を差し出した。藍花は受け取り目を走らせる。 (…蘇生が…ない…事故に遭ったとは書いてない。こっちのミスならどうして…え。まさか。こんなことで!?そんな。じゃあ…方法は) 「もうすぐ節目のライブの稽古が始まるので、できるだけ早く帰りたいんですけど」 真剣な表情の晴翔を見つめ返した。長年追っているから彼がどれだけ今の仕事やメンバーを大切にしているか知っている。話すのは辛い。 「早くお帰りになりたいということですので…こちらをお薦めします。変身用封筒です」 彼はきょとんとした。 「返信って…手紙の話じゃなくて」 「違うんです。変わる身と書いて変身。今とは違う形で生き直すための薬が送られてくる封筒です。お客様のご希望に近いものですと…狼男、雪男、吸血鬼、妖怪…このあたりでしょうか」 事務的に伝えると、予想通り晴翔は狼狽した。 「え…どういうこと。それ空想上の生き物じゃん。人間は?俺がここに来ちゃったのってミスなんだよね?普通にこのまま戻れないの?」 「残念ながら…できません。変化がないものは選択できないんです。ですから人間に擬態できる種族をご提案させていただきました。元いた場所に最速で戻るには、これが一番かと」 藍花の顔は曇り目が潤んだ。 「正直、晴翔くんのためなら何だってしたい。本当に感謝してるから。私も同じ封筒を持ってる。できることなら交換してあげたい。でも、そういうことはできないの」 彼女は引き出しから淡い黄色の封筒を取り出し中身を見せた。晴翔が薦められたのと同じ物だ。中の用紙には『人間』と印刷されている。 「せめて協力させてもらえないかな…?勿論口外はしない。邪魔もしない。道具だと思って?吸血鬼ならいくらでも血を提供する。雪男なら冷えた空間を用意する。狼男なら月から守る。妖怪なら…っ」 「…どうして、そこまでしてくれるの?」 頭が良くてRPGが好きな彼が聞いてきた。その柔軟な発想で事態を理解してくれたのかは分からないけれど彼女は答えた。 「晴翔くんのお陰で…何度も自殺を思い留まれた。助けられたから。ごめんなさい…これしか方法がなくて…」 「君が謝ることじゃないだろ」 晴翔は優しく笑った。
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