ステージの上の顔

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 カラーコンタクトを入れて、髪の毛にも色を合わせたワンデイカラー。アイラインとマスカラもばっちり、シャドーは濃いめで。自分で作った衣装を着て、舞台に立つ。  今日は、学生のころから続けているバンド活動のライブの日。普段は、目立たないよう、無難な格好で会社に勤めているけど、ライブの時だけは別。 「ルカ~!」  歓声に向かってマイク片手にウインクする。こんなことは、普段の自分ではやることはない。だけど、舞台の上に立てば、別人としてふるまうことができる。これが、快感。家族にも、会社の人にも言っていない。バンド仲間以外は、誰も知らない・・・はずだった。  ある日、会社でフロア移動していたときに、階段で前を上る人が、ひらりと何か紙を落とした。 「あ・・・落としましたよ。」  声をかけて拾い上げると、来月の自分たちのライブのチラシだった。びっくりして、手に持ったままじっと固まってしまう。小さなライブハウスで定期的にやっている、他のバンドとの合同のライブだ。まさか、このチラシを持っている人が会社にいるなんて。 「あ、ありがとうございます。」  階段を降りて戻ってきたのは、企画部の沢田だった。経理部に所属している流花とは、領収書のやり取りで関わりがある。いつも明るく流花に話しかけてくれるけれど、流花の人見知りの性格のせいか、なかなか打ち解けて話すことができない。 「あ、皆月さんも、興味あります?半年くらい前に友人に誘われていってから、ハマってまして。俺のおすすめは、この LUNA ってガールズバンドなんです。ボーカルの子の歌もうまいし、メンバーみんなかっこいいんですよ。」  チラシを指さしながら話しかけられる。LUNAは流花のバンドだ。褒められて、顔が赤くなる。  そのライブハウスは、立ち見、着席合わせて120人程度のキャパシティの会場で、ステージから観客の顔も多少は確認できても、歌に夢中で覚えてなんていないし、照明のあたり具合で全く見えないところもある。沢田が来ていたなんて、全く知らなかった。なるべく視線を合わさないように、チラシを沢田のほうに差し出した。 「い、え・・・。大丈夫です。」 沢田はチラシを受け取りながら、じっと流花を見る。 「・・・もし行きたくなったら、声かけてください。生音にノるの、最高ですよ。」 そう言い残して、沢田は階段を先に駆け上がっていく。流花は、ゆっくりと階段を上る足を踏みだした。 「生音、いいよね・・・。」  流花自身、バンドの音にのって歌うのが、何より好きだ。その歌をほめてもらえて、自然と笑みがこぼれた。  社会人になって一年経ったころ、恋人と別れた。学生のころ、同じようにバンド活動をしている仲間と付き合っていた。流花は、社会人になってもバンド活動を続けていたが、彼はきっぱりと辞めてしまった。あんなに熱く活動してたのに、と流花は残念に感じていた。仕事とバンド活動を両立したい流花と恋人とは会う時間が少なくなっていき、やがて別れた。  それ以来、もう3年ほど恋人はいない。ほしいと思うこともあるけれど、自分の活動を理解してくれる人じゃないと、付き合えない。そもそも、誰にも言っていないし・・・と思うと、縁遠い日々が続いている。 「皆月さん、これ、領収書です。」  翌日、沢田が流花のところへ、領収書を持ってきた。流花は受け取って確認する。 「はい・・・。はい、大丈夫です。お預かりします。」  沢田はにっこり笑って話しかける。 「皆月さん、今日のランチカーはのり弁当らしいですよ。」 「いいですね。買いにいきます。」  流花は笑顔で返す。  会社の近くに毎日ランチカーが来て、弁当を売っている。流花はそのランチカーの弁当が好きで、買いにでたときに沢田と会うことが多い。沢田はそのランチカーのSNSもチェックしていて、のり弁当のときは領収書をもってきて教えてくれる。  流花ははちくわ天が大好きで、その話を聞くと必ずランチカーに買いにいく。  あいにく、その日は、お昼休み直前に駆け込みで対応する人におわれ、買い物に出るのが遅くなってしまった。 「すみません、今日はもう終了しちゃったんです。」 ちょっとショックを受けながら、仕方ない、じゃあコンビニへ行くかと振り返ったときに、沢田がいた。 「皆月さん、これ、どうぞ。」 のお弁当の袋を差し出す。 「え、でも・・・沢田さんが買ったのに。」 「いいんです、急に外出になっちゃって。食べてもらえませんか。」 そういいながら、強引に袋を渡して、去ってしまった。渡された袋をもって自分の席に戻り、弁当を食べた。やっぱり、美味しい。  今度、のり弁当のときは、私が二つ買おう。沢田の顔を思い浮かべながら、流花は満足げにちくわ天を頬張った。  数日後、ランチカーへ向かうところで、沢田と会った。 「あ、この間は、ご馳走様でした。」 歩きながら流花は礼を言う。 「今度は、私がごちそうします。」 「いや、いつもお世話になってるので。」 「それは、仕事ですし・・・。」 流花が代金を払おうかと財布に手をかけたところで、沢田が口を開いた。 「え・・・と、じゃあ、今度、一緒に食事に行きませんか。」 流花は驚いて固まってしまった。ゆっくりと、視線を沢田へ移す。 「一度、ゆっくり話してみたいと思ってたんです。」 少し頬を染めた沢田が流花を見ている。流花の鼓動が高鳴っていく。仕事では少しだけ関わりがあるけれど、あとはお昼休憩のときに少し顔を合わせる程度なのに。 「でも、沢田さん、私のことなんてよく知らないですよね・・・。」 「知るために、話してみたいんですが・・・。ダメですか?」 「ちょっ、と・・・。考えさせてください。」 そういって、その場を逃げるように後にした。  自分に好意を向けてくれるのは嬉しいけれど、怖くて、一歩踏み出せない。流花は鼓動を抑えようと深呼吸しながら、ライブの時みたいに、思うままに表現できたらいいのに、と思った。  それから、沢田には仕事でかかわるときに事務的な話しかできず、ライブの日を迎えた。  いつものように、メイクにも気合が入る。だけど、なんだかいつものように気持ちが高揚しきらない。・・・沢田のことが気になっているせいだろうか。  沢田は社内で会ったときも会釈してくれるし、流花の好物を知ってランチカーのメニューを教えてくれる。  これだけだけど、この前、あんなふうに誘われて、嫌じゃなかった。嬉しかった。本当は、もうずっと前から、気になっていたのだと自覚した。沢田が領収書を持ってくると、自然と笑顔になった。他の人が対応してると気になって横目で追っていた。  まだ、間に合うだろうか。次、領収書を持ってきてくれた時、そのときは、食事に行きましょう、といえるだろうか。いや、言う。言おう。鏡の中の自分をじっと見つめ、大きく息を吐くと、アイラインを引いた。  流花の出番が来る。もし姿が見えたら動揺してしまいそうで、客席はあえて見ないようにした。いつもよりも緊張している自分がいる。メンバーと視線を合わせる。カウントをとり、演奏が始まり、音が広がっていく。歌への気持ちが盛り上がっていく。やっぱり、楽しい。今の自分も、会社の自分も、どちらも自分だ。  出番を終え、メイクを落として着替える。皆で後片付けをして、ライブハウスを出る。  少し歩いた先に、沢田がいた。 「え・・・」 「皆月さん、ですよね。」 流花は固まる。 「・・・前から、顔と声が、似てるなって思ってたんです。」 「ルカ、大丈夫・・・?」 一緒にいたメンバーが訝しむ。 「ああ、同じ会社の人・・・。大丈夫だよ。」 流花の表情をみて、メンバーは察したように歩き出した。 「じゃ、おつかれ。」 沢田が流花に近づき、口を開いた。 「すみません、出待ちなんかしちゃって。・・・最近、会社だと全然話せなかったので。・・・それに、皆月さん本人か、確かめたかったのもあって。」 「私が、LUNAのボーカルだから、食事に誘ってくれたんですか。」 流花はつぶやいた。 「んーー、どっちが先かは、忘れました。」 沢田は考えるような仕草を見せたが、すぐに笑顔になった。 「でも。」 一歩、流花の方に踏み出す。 「会社の皆月さんも、LUNAのルカも、どっちもいいと思ってます。どっちも、皆月さんですよね。」 流花は目を瞠る。沢田は流花をじっと見つめながら言った。 「これから、食事・・・どうですか。」 「・・・はい。行きます。」 流花は沢田の隣に並ぶように、一歩踏み出した。
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