105人が本棚に入れています
本棚に追加
………
「……綺麗だ……」
そんな言葉が聞こえ、驚いて顔をあげるといつか見た男の子がこちらを見ていた。
「いや、すみません。誤解です!いや誤解じゃないですがっ……」
しどろもどろになりながら、にじり寄り耳まで真っ赤に染めた男の子が必死に何かを伝えようとしていた。
驚きとなんもいえない感覚に朱音は席を立ち一目散に出入口を目指した。
後ろから呼び止められる声に続いて、足音と床の軋む音が追いかけてくる。
急いで階段を駆け下り、小さい物置になっている階段下に身を隠した。
(大丈夫…。隠れた場所は分からないはず)
口元に手を当て、己の呼吸音が聞こえないようにした。
次第に階段を降りてくる足音が響く。
口元に当てた手に力をいっそう込めた。
(大丈夫。大丈夫)
1階まで降りてきた足音が近くを行き来する。
…………
思わず零れた言葉に取り繕う暇もなく、廊下へ飛び出した朱音を見て、黒瀬は呆けてしまった。
(避け…られた……?)
急いで振り返り、呼び止めるも姿はなく階段を駆け下りる音が響く。
本能なのか分からないが、ふつふつと何かが湧き上がってくる感覚が黒瀬を覆った。
音を頼りに追いかける。
(捕まえたい)
その思いだけが、黒瀬の足を動かした。
1階に着くと足音は消え、黒瀬の微かに乱れた呼吸音だけが響く。
両側の廊下や特別教室など覗くも居ない。
階段下の物置になっている場所に、ちらっと濃い深緑のスカートの一部が見えた。
「見つけた」
…………
(見つかった!なんで?)
理由も分からず追いかけられた朱音には、その一言で更に恐怖心しか残らず、涙を堪えるので必死になった。
…………
小さく肩を震わせる朱音を見て、手を伸ばすのをやめた。
「あの……すみません。怖がらせるつもりはなかったんです」
そう伝え、数歩引いて両膝をついた。
目線を合わせてもらえるまで、何分経っただろうか。
ゆっくりと顔を向けた朱音の目は、充血していた。
「ここは、埃っぽいですし移動しませんか?」
努めてやんわりと、明るく聞こえるように声をかけた。
こくんと小さく頭を揺らし、物置の陰から出てきた朱音を先に通し外の木陰にあるベンチへ案内する。
葉音を鳴らしながら風が吹き、朱音と黒瀬についた埃をさらっていく。
お互いに無言で制服についた埃を叩き、腰掛けた。
沈黙が続く。
(どう言おう)
恐怖心を煽らないように思案する黒瀬の沈黙を破るかのように、朱音のか細い声が聞こえた。
「どうして、追いかけてくるんですか?」
「え?」
決して、聞こえていない訳ではない。
ただ、凛とした空気を纏った朱音の声をもう一度聞きなくなったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!