天葬

1/4
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 手伝いの畑仕事が終わると、茄子(なす)(ねぎ)など収穫物を分けてもらったカゴを家に持って帰り、私は村から南に海へ出た。  簡素な(すそ)の長い服を軽くはたいて、帯紐(おびひも)()め直す。飾りの黄色い硝子珠(ガラスだま)がコロコロ揺れた。  のんびり歩いていたものの自然と歩きが速くなる。村の端から青い水平線が見えると同時に駆け出した。両腕を大きく広げると、それは鳥の翼に変わり、みるみる身体が羽毛で(おお)われる。準備ができると私は風に乗って蒼空(あおぞら)へ上昇した。  変身した茶褐色の翼で力一杯羽ばたいていく。あっという間に人々や家が遠く小さく見下ろせるようになった。  キリリリリ……  私は小さな一羽の(ひわ)になる。  澄んだ声が鈴を振るように美しい。  翼を広げた時に見える風切羽の黄色い帯も好きだ。  空高く飛んでいっても、もくもく広がる白い雲にはまだ届かない。私は幻影を追いかけるように海を目指した。  始まったばかりの夏の陽があたたかい。 「飛鳥(ひちょう)の術」  ここでは師匠から鳥に変身する術を教えてもらうことができる。背中から翼を生やすのではなく、人間から鳥へ、まるまる姿を変えるのである。  私は鶸を選んだが、こんなてのひらに乗るほどの小さな鳥では、(はやぶさ)でもやって来たら取って()われてしまうのではないか、  ……と思われるようなことは、「この世界」では起こらない。私たちはひとつの舞台を終わらせた者であり、どのようにここに辿(たど)り着いたのかは記憶にない。  私は、気がついたら手ぶらで海辺に立っていた。まぶしい水面(みなも)。ああ、生存競争から解放されたのだと、潮騒(しおさい)を聴きながらぼんやりと理解した。持ってきたのは「あちら」での思い出だけ。  本物の鳥は存在しないけれど、 「飛びたい」と思った者が自由に空を駆ける、この場所を蓬莱(ほうらい)と呼ぶこともあった。  夢を見ているだけだろうか、それともここは夢から()めた場所なのか……?  私の最期の記憶は海にある。たしか十六かその辺りだったと思う。飛べるようになってから、もう成長しない少年の体でたびたび南へ向かう。  私はあの夜に見た星を、もう一度見たかった。星の名は知らない。  海の風は強かったが、心地好い陽射しと穏やかな波音が迎えてくれた。数羽の(かもめ)が隣を滑空(かっくう)していく。 仲の良い機織(はたお)り娘たちの集まりだ。お互いに一声鳴いて挨拶(あいさつ)した。  遠ざかっていく白い点を見送りながら、若鳥の私は休まず砂浜から海へ出て、沖の方まで飛んでいった。  (あお)い水面に光がきらきらと輝いている。  水平線の向こうには、私がかつて住んでいた村があるのかもしれない。けれど戻る機会はないだろう。  私は独り羽ばたくと、より高く舞い上がった。上昇気流を(つか)まえる。  空はやや陽が傾いている。  ぐんぐん離れていく蓬莱の地は、島なのか大陸の端っこにあるのか、いまひとつよくわからなかった。南は海へ通じているが、北は深山幽谷(しんざんゆうこく)、その山頂は雲海に()み込まれて視界がさえぎられていた。  私の師匠は術を伝えると北の山へ昇った。星に最も近い場所、天の楼閣(ろうかく)へ去っていったが、ここからでは見えない。  今日こそ師匠のいる星の展望台を確かめてやろうと、羽ばたきに力をこめたとき、  ビュッ!! 「あっ」  突然目の前から黒い(かたまり)物凄(ものすご)い速さで私のすぐ下を飛んでいった。南の海から村へ一直線に。「仲間」だろうか。  私は上昇を止めてすぐに急降下すると黒い塊を追いかけた。神秘の働く世界ならもしかしたらと思ったが、やはり小さな(ひわ)鳥の体ではとても追いつけない。  塊は速度を(ゆる)めることなく弾丸のようにすっ飛んでいき、遠くに見える浜辺に激突した。もうもうと砂煙が上がる。  懸命に翼を羽ばたかせて、私はようやく陸に到着した。すぐに人間の姿へ戻り柔らかな砂地を走る。地面に(わだち)を残すように盛大に突っ込んできた塊は十数メートル向こうで落ち着いたようだった。こんもりと砂山に埋もれている。ぴくりとも動かない。 「おい、大丈夫か」  大丈夫でないことはわかっているのだが、ここでは二度目の死は起きない。  私は砂山に近づいてひざまずいた。腕まくりして両手で砂をかき出していく。昼間の太陽にさらされた地面は熱く、ときどきてのひらをぶんぶん振って熱を逃がす。砂に埋もれてしまった誰かも、生きものであれば呼吸をさせてやらなければいけない。  柔らかい砂山はすぐに崩れていった。まず首と胸元が現れたのでそれより上の部分を取り除いていく。顔が見えてきた。少年のようだった。  一瞬ほっとしたが手は休めず、私は無心に砂を掘り進んでいった。  少年は固く目を閉じてうんともすんとも言わない。身体のあちこちに()り傷ができていた。半開きの口にも砂が入り込んでいる。後で洗ってやらなければ。  はじめは白かったであろう服はボロボロで(そで)は破れ、腕の代わりに真っ黒な翼が横たわっていた。  変身から人に戻る途中で気を失ってしまったのかもしれない。翼をそっと()でてやる。ざらざらしていた。羽根が抜けたり、大きな怪我をしている様子はなかった。丈夫な奴だ。  化石を掘り出すように少年の身体を助け出し、私は何度か声をかけた。返事はない。  彼の飛鳥の術は、(からす)だろうか。  眠る少年の長い黒髪をかき上げる。眉間(みけん)にしわを寄せた苦悶(くもん)の表情は、まだ幼さを感じさせる。しかしまあ全身砂まみれだ。私も同じ。  砂を払ってやろうと(ほお)に手を添えた所で彼は気がついたらしい。意識が戻るとすぐに激しく()き込んだ。私は大きなため息をついた。目が()めたんだ。ああよかった。  少年が口に入った砂を吐き出してしまうまで待っていた。小刻みに震える丸まった背中をさすってやる。()せて浮き出た竜骨が固い。翼はまだ人間に戻らなかった。  うつぶせになって低く(あえ)ぐ少年は、私(の見た目年齢)よりいくらか年下に見えた。 「声は出せそうかい」  背中に手を当てたまま、ゆっくりと話しかける。しばらくぜえぜえ息をしていた少年は、ゆっくりと首を振った。(のど)が痛いのだ。 「わかった。まずは顔を洗った方がいいね。あ、海水は傷にしみるか。君、立てるかい」  これも首を振る。ならこのまま村に運んだ方がよさそうだ。 「君は、今こちらの世界にやって来た人だろうか。答えなくていい。この先に私たちの村があるから、一緒に行こう」  少しずつ呼吸が楽になった少年は長く垂らした髪の隙間(すきま)から私の顔を見た。喉が苦しかったので目に涙が光っていた。  私は一言ことわると、少年の身体の向きを変えてよいしょと抱き上げた。驚くほど軽かった。幼い子供のようだ。彼は戻らない黒い翼を胸に重ねてうつむき目を閉じている。疲れているのだ。雷光のように全力疾走してきたのだから。まずはベッドで横になろう。  まだ師匠がいてくれたなら、助言をもらえたかもしれない。  村へ帰る頃には陽は沈み、私たちは(よい)の空も見上げずに歩いていった。名も無き星がひとつふたつ増えていても、誰も振り返ることはなかった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!