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Ⅱ
私が靴を履いて待っていると、お母さんが小さなバッグを持ってやってきた。
「何を持っていこう。ああ。これだけでいいや!」
そう独り言を零していたので、バッグの中には財布と鍵しか入っていない。お母さんはすでに支度のできている私を見てから、履き慣れた靴に足を入れ、家のドアを開けた。
「じゃあ、行こうか」
「ああ、うん」
私は全く踏ん切りがついていない。けれど、お母さんが言うから、一緒に車に乗って、隣の市にある音楽教室へ向かった。音楽教室というと、同級生は揃って首をかしげるけれど、小中学生を対象に開かれた小さな教室で、その内容が音楽は限定されているために、そう呼ばれている。
「すみません。ほんと、ありがとうございました! はい。はい! ほんと。また受験が落ち着いたら考えてみます。ありがとうございました。では。失礼します」
お母さんは教室の先生にそう言って、別れの挨拶を済ませた。
私は音楽教室を辞めさせられた。
理由は高校受験に専念するため、としていて、それもあながち間違いではないが、辞めるのではなく、長期的におやすみするだけでもよかったのに、お母さんは高校受験を理由に家計に楽な道を選んだ。これでとうとう私の楽しみはなくなった。
私は音楽が好きだ。テレビで音楽教室を見るのはもちろん、宿題をしたり、布団に寝転んだりする時もイヤホンを耳に入れている。誕生日プレゼントは高価なヘッドホンだった。当然、鼻歌を歌うことも多く、歌うことが上手な人は無条件で尊敬した。
「ねえ、愛莉ちゃん。歌うの巧いね」
小学六年生の音楽の授業で、隣にいた友達から突然そう言われた。
生きてきて一番嬉しかった。でも、その友達が周りに広めるので恥ずかしくなって、わざと変な歌い方で、注目を浴びないように気をつけるようになった。中学生に進学しても、私はどこかで、歌の上手な子、というイメージを持たれていたようだったが、そこまでじゃない、と思わせることのできたクラスメートも多かったようで、いつの間にか、注目されないようになっていった。
私が歌を歌えるのは合唱部と、小学三年生から通っていた音楽教室だけになった。
それなのに、合唱部は先月引退してしまったし、音楽教室も辞めさせられてしまったので、今の私には生きる楽しみが一つもない。
「あ、中本さん!」
挨拶を済ませた私とお母さんを音楽教室の先生が呼びとめる。ちょうどお母さんが車の鍵を開けて、ピーピーという音を鳴らしたところだった。
「また、もしよろしければで結構ですので、落ち着いたら、また来てくださいね。愛莉ちゃん、とても楽しそうでしたし、それに。すごく飲み込みが早いので」
お母さんがお礼を言って、軽く頭を下げた。
私は先生と目線だけ合わせたが、それは無視をしたくなかったからで、特段、伝えたいメッセージがあった訳ではない。お母さんの後に乗り込んで、車のドアを閉める。
先生は私たちの車が発車するまで見送ってくれた。
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