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「あ、愛莉ちゃん。どうしたの? こいつに変なことされなかった?」
トイレを出て、教室へ戻ろうとしたところで、そう訊かれた。
突然だった。話しかけてきたのは高田祐樹だったが、藤井景斗も一緒だった。二人は隣のクラスの男子生徒で、同じサッカー部員だった。私はびっくりして、たじろいでしまったが、その隙に山本佑駆が割って入ってくれた。
山本は二人を連れて、教室へ戻っていく。
そういえば、うちのサッカー部はすでに最後の大会を予選で敗退したらしい。先週、ふらっと顔を出した合唱部でそういう話を聞いた。敗退したのなら、三年生は引退し、高校受験の勉強に切り替えたということだろうか。
そんなことを考えながら、教室に入った。
「あ、愛莉。大丈夫?」
私の様子に気づいた女子生徒が気遣ってくれる。
「うん。ごめん。大丈夫だよ」
今日の天気は曇り空だ。気圧が低い。天気に左右されて、頭が痛くなる上、ちょうど生理が重なって、お腹まで痛い。最悪だ。心の底から帰りたい。でも、途中帰宅すれば、目立ってしまうので、それはそれで最悪だ。最悪の上塗りとはまさにこのこと。
「もし辛かったら、一緒に保健室行こうか?」
「ううん。もう平気。安静にしてるよ」
私は自分の席に座って、平然と読書を始め、痛みに耐えた。
男子が羨ましい。彼らは一人の例外なく、自由だ。言いたいことを言って、人を傷つけたら、謝って、自己嫌悪も自己犠牲だって、嫌味にならない。何も考えずにいるのにも、何か考えてするのにも、ともかく選択肢があるのだもの。
私は読書の演技を続けた。すると、英語の三原先生が教室へやってきて、教壇に教材を置いた。男子生徒が先生に気づいて、話しかける。
「先生! さっき授業バックレたの?」
先生はキッと鋭い目でその生徒を睨んで、だったら何? このクラスはちゃんとやるわよ、と言い返した。話しかけた男子生徒と傍にいる他の生徒はゲラゲラ笑っている。
「ちゃんと授業してよ? ミハミハ」
「ミハミハじゃなくて、三原先生って呼びなさい!」
三原先生は綺麗だ。だから、男子生徒にからかわれてしまう。
私は美人ではない。けれど、歌がどうとかいうのとは別の理由で、男子生徒からよく話しかけられることがある。下手にちやほやされて、とても困る。男子生徒にどう思われるかではない。私の立場が変わるからだ。その危険性。女子生徒に陰口を叩かれるようになったら、終わりだ。
誰がこんな世界にしたのだろう。
常に小さな傷を負った被害者。その演技を続けなければならないなんて。裏表のない健全なクラスメートなんていないし、ノンフィクション作品の中だけにある妄想を信じてもいいことなど何もない。だから、自分の身は自分で守らなければならない。
休み時間が終わった。私は平然を装って、授業を受ける。
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