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06.病のトリガー
「おいしいね」
「うん」
僕はベンチに腰掛けて、彼女と二人、ネオイカ焼きの味を楽しんでいた。
回収したCO2を加工して作られた、再生プラスチック製のつまようじを使って、丸いネオイカ焼きを口に運ぶ。まだちょっと熱い。
実のところ。これは、現実であって、そうではない。治療の一環なのだ。
簡単に言うと。病に倒れた彼女の意識に、僕は今、入り込んでいる。
「ハシュタのネオイカは、最高だね」
夢越病は、何をトリガーとして発症するのか、未だによくわかっていなかった。
でも、このところ、僕にはなんとなく、わかるような気がするのだ。
僕はかつて、生まれ故郷を捨てた経験があった。
相続の発生に際して、身内との関係が悪化したから、やむなく遠方へと引っ越したのだ。
嫌な思いを散々してきたからか、僕は望郷の念を持つことはほとんどなかった。
無越病は、そういうタイプの人間には、発症しない病なのではないかと、思っている。
けれど、彼女は僕とは違う。彼女は、とても純真な心を持つ、女の子だった。
「ねえ準くん」
準とは、僕の名前。僕は彼女からは、そう呼ばれていた。
「大学を卒業したら、準くんはどうするの?」
僕と彼女は、同じ大学に通っていた。……今では過去形。彼女は病を原因として、休学状態にあった。
だからこれは、病を発症する前の、仮のシナリオ。悲しいことに、僕が彼女と一緒に大学を卒業することは、ないだろう。
「僕は……。そうだなぁ。旅行会社にでも、勤めようかな」
「そうなんだ」
「それか、あんな風にネオイカ焼き屋でもやるとか。……うん。実においしいから、味を追求してもいいかも」
「ふふ。全然違うね~」
こんな風に、週に何日か病院を訪れて、専用の医療用ヘッドセットを装着して、彼女の夢の中へとダイヴする。
現実と、まるで遜色のない日常を、あたかも過ごしているかのような彼女に会う。
こちらの世界に気付くように……目覚められるように、接する。
僕は、彼女と会う度に、毎回待ち合わせ時間に遅れていく。
そうして、彼女は決まって『今、どこにいるの?』と、僕に聞いてくるのだ。
違う。
それは、逆なんだ。
迷子になったのは、僕じゃない。
彼女を夢の中から連れ出したい。僕の望みは、それだけなんだ。
戻ってきてよ。気付いてよ。
もちろん、君は今、夢の中にいるんだよと、何度と無く直に説明した。
けれど、君はいつも決まって『え?』と、困ったように、可愛らしくはにかむんだ。
僕はそれ以上、説明できなくなってしまう。
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