寄生する

1/1
前へ
/3ページ
次へ

寄生する

その男の趣味は魚釣りだった。 ある日、私は男に釣り上げられた。 「おっ!美味そう」 私を包んでいるキラキラ輝く外見に、男から思わず出た言葉。 私はこの日を待っていたのだ。川から海へ流れ着いた私。お前に見つけてもらう為に深い海底に住んでいた。息を潜めて、ずっと、ずっと。 しめしめ。上手くいった。 男は何の疑いもなく、私と共にある魚を口に入れ、体内へ取り入れた。「上手い、上手い」そう言いながら、目尻にシワを寄せて笑う。 体内に取り込められた私は、行く度に出会う内臓に少しずつ種を植えつける。それは分からない様に少しずつ。そして月日を重ね、私は今彼の腹わたの中で、ひっそりと飛び出すチャンスを待っているのだ。 私は寄生虫だ。 「やっぱり、歯が痛いな……行きたくないが、歯医者に行くか」 馬鹿な男は、私からの痛みを歯の痛みだと間違えて勘違いをしている。いい気味だ。 歯にも侵食した私は、わざと神経を突いて、痛みを響かせてやる。 「イタタタ……」 男は頬に手を当て、顔を歪ませながら白い壁の歯医者へ入っていく。男は受付で診察券を出すと、深いため息を吐きながら、待合のベンチへ腰掛ける。 さぁ、ここで派手にやってやるか。 私は男の脳みそに直接刺激を与え、自らの声を響かせて語り出す。 〈お前はあの日の事を覚えているか?〉 〈私はあの日、お前に殺された女だ〉 叫ぼうと立ち上がった男を、体の中から支配してベンチに縛り付ける。 〈私はあの日、幸せの絶頂にいたのに……お前がそれを突然奪った。命乞いをした私と交わした約束——指切りげんまん——をお前は破った。私を助けてはくれなかったんだ〉 ** 私はあの日、彼と別れて夜道を足早で歩きながら、幸せの余韻を噛み締めていた。だから、背後に近付く気配なんて感じ取れなかった。 左の手のひらには、朱色の金魚が一匹。 歩く度に揺れる静かな波紋。 「ねぇ、君!」 グワッと掴まれた肩。 一瞬の恐怖に心臓がひっくり返る。  私は振り向く事なく、精一杯、駆け出す。 ガサガサガサ! 河原の雑草が足に絡みつきながらも、動転したまま必死で逃げる。 着いてくる不気味な気配。 数秒後に聞こえる足音。 私は逃げながら、彼の名前を何度も泣き叫ぶ。 「逃げるな!!」 その乱暴な声が耳に届くと、私は草むらから川の方へ引きずられ、そこへ倒された。 右手に掛けていた鞄はぶちまけ、左手の袋はビシャリと弾け飛んで、中身の金魚がそこら辺に飛び散る。 馬乗りになって来た男は40代前半ぐらいだった。 「君、可愛いね?」 ゴクリと喉が鳴る。 「今日、彼女に振られてむしゃくしゃしてるんだ。君、僕の彼女にならない?」 飛び出した鞄の中身の何かを、右手で握りしめる。首を横に振ったら、どうなるのだろうか。 殺されるのだろうか。 彼に会えなくなるのは嫌だ。 私が首を縦に振ると、目の前の男はニンマリ。 「本当に?」 「はい……だ、だから、た、助けてください」 「いいよ。よし!じゃあ、約束だ」 右手で探った細いものをグッと握りしめる。 気持ちの悪い小指が私の小指に絡む。 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!」 私は裁縫道具の中身の数本の針を、男の右腕目掛けて一気に振り落とす。 ブッ刺さる針と、男の歪んだ悲鳴。 私はその隙に逃げ出すが、すぐに腕を掴まれて河原に引き戻される。倒れた目線の近くには、死にかけた震える金魚。 「何するんだ!!殺してやる!!」 男は引き抜いた針を、私の頬に数本刺す。 分厚い手が首筋に絡まりつくと、一気に呼吸が苦しくなり、キリキリと首の骨が軋む。 閉じていく目蓋の裏に張り付く彼の笑顔。 温かなぬくもりを思い出す。 ダラリ、と垂れた右手に掴む金魚。 この世から遮断されると、私は川の中へ沈められた。 もう意識なんてないのに、沈みゆく水の中に綺麗な泡ぶくを見つけた。 それが弾けると、一閃の夜光が私を包み込む。 遠目に見えるのは、スーッと沈む私の死体。 朱色の体には針が刺さっている。 私の意識が金魚になったのだ。 そのまま、大きな魚に食われる。 そして、私は魚の体内で噛み砕かれて、寄生虫に生まれ変わって、彼を思い続けた。 大好きな彼。 憎きあの男。 魚の体内で増えたのは、憎しみだった。 私の幸せを遮断したあの男に復讐を。 その思いが私を特殊な寄生虫に育てた。 ** 〈約束を、指切りを守らなかったらどうなるか知ってる?針を千本のませるのよ〉 〈のませるんじゃないな。千本つき出てくるのかな〉 ブルブル震える体内で数千本の針が牙を剥く。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加