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目を閉じていると、ゆっくりと車が動き出した。弱い振動が心地いい。このまま眠ってしまいそうだ。このまま夢の世界へ逃げ込んで、二度と目を開けなかったら、群青はどうするだろうか。王子様のように、目覚めのキスをしてくれるだろうか。そうだったら私の心臓は、喜んで動くことをやめるのに。
「早かったですね」
狭い車内に、群青の低い声が響く。反響して、反射して、私の鼓膜を甘く震わせる。眠ることを諦めて、私はゆっくりと目蓋を開いた。隣に座る群青は、雨に濡らされた髪が艶っぽくて、憎たらしかった。ガラス細工のように、きらきらと輝いて見えた。だから私は、ほんの少しだけ意地悪になる。
「遅い方が、よかった?」
「……いいえ」
予想通り、何の面白味もない答えが返ってきた。むっとして横顔を睨んでみても、表情一つ崩しやしない。不満を表すように、私は勢いよくシートにもたれた。
「なんだか疲れちゃった。すごく眠いの」
「寝ても大丈夫ですよ。着いたら起こしますから」
「そう言われると、寝たくなくなる」
「そうですか」
群青がふっと笑みを零した。ああきっと、また私を子供だと思っているんだ。嬉しさと悔しさが入り混じって、私は弱く唇を噛んだ。ようやく制服を脱ぎ捨てたというのに、群青との距離は変わらない。私が一つ年を取るたびに、群青もまた、老いてゆく。広い背中に追いつくことはない。
「……織葉の様子はどう?」
「順調ですよ。このままなら大丈夫だと、お医者様も言っていました」
「そう」
窓の方に目をやると、流れていく景色に重なった、半透明の私と目が合った。ウェーブした長い髪。反抗的な瞳。拙い化粧で大人ぶった、19歳の弱い子供。
車を走らせるうちに、街は少しずつ賑やかになっていった。部屋に灯る橙色の光と、けばけばしい店の看板。煌びやかな街とは対照的に、車内は薄暗くて、ひっそりとしていた。こんなに暗くては、声だけが、互いの存在を知る手段になる。
「……暖房をつけましょうか」
「え?」
「手が、震えている」
「……温めて、くれないの?」
からかうように笑うと、群青は何も言わずに暖房のスイッチを入れた。ごおお、と乱暴な音が鳴って、温かい空気が吐き出される。冷えた手をかざして、少し埃っぽい、ぶっきらぼうなぬくもりに甘えてみた。
さっきまでこの手を握っていた、あの男の低い体温を思い出す。ぶるり、と体が震えた。ひび割れたグラスのように、心が喘いだ。
「ねぇ、群青」
信号が赤になって、車がゆっくりと停止した。
「私は、間違っていると思う?」
「……いいえ」
不満を飲み込んだように、群青は答える。本音を言ってくれればいいのに。そしたら、すぐにやめるのに。
「仕方ないよね」
言ってくれないからやめられない。抱き締めてくれないから、ちゃんと捕まえていてくれないから。そうやって責任転嫁していることも、ちゃんと自覚してる。
「妹の、ためだもん」
自分に言い聞かせるように、強く言った。何度も何度も確認して、群青の同意を求めて、自分の行動を正当化させる。偽りの愛情は軽蔑の対象。私にとってそれは揺るぎようのない真実で、現実で、それはこれからも決して変わることはない。
ねぇ、織葉。
愛しい愛しい私の妹。
あなたは本当に、これでいいの? これで、あなたは許してくれる? 幼い時の私の罪を、なかったことにしてくれるの?
信号が青に変わった。群青は何も言わずに、勢いよくアクセルを踏み込んだ。少し乱暴な音を立てて、車が再び走り出した。さっきより強くなった雨が、車体を強く打ち鳴らす。窓に映った私の頬を、からかうように濡らしていく。
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