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心地よい揺れに身を任せるうちに、どうやら眠っていたらしい。再び目を開けた時、人工的な光の群れはもう見えなくなっていた。代わりに視界に飛び込んだのは、生まれてからずっと見てきた、私と群青の家だった。
「着きましたよ」
群青に急かされて、眠い目をこすりながら車から降りた。ふたりで暮らすには広すぎる、無駄に大きな一軒家。5人で住むにはちょうどよかった。でも今はもう、ふたりきりだ。
着替えを用意して、真っ先に風呂場へと向かった。用意周到なことに、湯船にはきちんとお湯が張ってあった。冷えた体を湯船に浸けると、体の内側がじんわりと温まっていくのを感じた。こうして、いつもと同じように入浴していると、先程までの出来事が全て夢だったように思えた。
あれは、嘘だ。全部、嘘だったのだ。今夜の出来事を洗い流すように、いつもより念入りに体をこすった。シャワーから出るお湯の量を最大にして、思い切り全身に打ちつけた。ぶすり。ぶすり。強すぎる水圧が、針のように肌を突き刺す。ほんのちょっとだけ、泣きそうになった。
濡れた髪をタオルで拭きながら、脱衣所から出た。もうすぐ夏とはいえ、深夜の廊下は少し寒い。
「お風呂、あいたよ」
群青の部屋をノックすると、はい、と礼儀正しい声がした。少し眠そうな、疲れた声だ。
その声を聞いた途端、このまま扉を開けて、思い切り抱きつきたい衝動に駆られた。濡れた髪を押しつけて、白いシャツを汚してやりたくなった。肩を震わせて瞳を潤め、か弱い乙女を演じても、きっと群青は抱き締めてくれない。困ったように眉を下げ、優しく私を突き放すだろう。そう考えたら急に怖くなって、急ぎ足で自分の部屋へと逃げ込んだ。
部屋の扉を閉めて、私は短く息を吐いた。髪を拭きながら、机の上にある携帯を手に取る。新着メール1件。差出人なんて確認しなくても分かる。織葉だ。
『お疲れ様。今夜も、ありがとう』
携帯を持ったまま、勢いよくベッドに飛び込んだ。ふわふわの布団に顔を埋めて、現実から逃げるふりをしてみる。濡れた髪が肌にあたって気持ち悪い。
本当はもっと責めたいのに。こんなこともうやめようよ。もう嫌だよ。もう、解放してよ。途中まで文字を打って、全部消した。ありがとう、なんて言われたら、私は言葉を奪われてしまう。それを知っているから、織葉はわざと「ありがとう」なんて言うのだ。
西條織葉。狡猾で無邪気な、かわいい妹。愛しくて恋しい、私の分身。世界に自分と全く同じ人間はいないと言うけれど、神様はどうやらちょっとした手違いを起こしたらしい。実の親でさえ見分けがつかないくらい、私と織葉は何もかも同じだ。私と織葉を識別できるのは、世界中でただひとり、群青だけ。
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