夕方のコール

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 島貫は左耳が聞こえない。  大学のときに遭った交通事故で不自由になったのだ。当時、父の検査入院で通っていた病院で、入院していた島貫とよく顔を合わせるようになった。 「詩子さんだけだったんです」 「え?」 「音楽どうするの、って訊かなかったの」  事故の後、耳がだめになって。事故なんて想定外でしたから、すぐになんて決められるわけないのに、みんな訊いてくるんです。かわいそうだねって顔して、気の毒だったって言いながら。  でも詩子さんは違いました。僕の歌が好きだって、ただそう言い続けてくれた。歌を続けるのか、音楽自体から離れてしまうのか、これからのことも全然わからない状態でそれが救いだったんです。  そう話す島貫に、私は呟いた。 「私も救われてたよ」  ずっと遠い記憶だと思っていたけれど、私は確かに島貫の曲が好きだった。  ――未来のことなんか誰にもわからない。そればかりに気持ちを割いて、今の自分を捨てないで。捨てないで。  ちょうど就活や、父が病気で働けなくなるかも、とかそんなことで悩んでいた頃だった。私はその歌詞を何度も聴いた。あのときの自分を捨てなかったから、今ここに未来の私がいる。  そう思えるようになったのは、数年が経っているからか。  大した未来ではないけれど。  テーブル席に座る若い男女が喋る声、調理中の水の音、箸の触れる音、グラスの中の氷が溶けてカランと落ちる音――調和のないそれぞれの音があふれるこの空間で、島貫はその低く柔らかな声で、あの歌詞を口ずさんだ。
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