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翌日、シエル達は西の森の魔術師に会いに行くため、日の出と同時に城を出た。
「……西の森の魔術師ってのは、ずいぶん辺鄙なところに住んでるんだな」
そのキールの言葉にシエルも全力で同意する。
随分早くに王城を出たはずなのだが、馬車を乗り継いで乗り継いでやっと西の森に着いた頃には昼を過ぎていた。
地元の人の話によれば、魔術師の家はここからさらに奥まった場所にあるという。
「……ちゃんと帰り道わかるかな」
「パンでもちぎって目印に置いて行くか?」
「馬鹿、パンならさっき全部食べたでしょ」
そんな軽口をたたきながら2人は森の中を進んでいく。
鬱蒼と茂ってた木々は、先程まで見えていた青空と陽の光を遮って、森は少し薄暗い。幸いにも森は一本道で、迷うことはなさそうだった。
「それにしても、西の森の魔術師ってどんな人なんだろうね。地元の人もよく知らないって言うし」
「滅多に森から出てこないらしいからな」
「隊長も手紙のやりとりしかした事ないって言ってたし……」
騎士隊長が会いに行くのを勧めるくらいなのだから、決して悪い人物ではなのだろう。しかし、情報が少なすぎるような気もする。
シエルが一抹の不安を覚えて眉根を寄せる一方で、キールはあまり気にしていない様子だ。
「実は、すげーおっかない魔術師だったりしてな」
「いい加減なこと言わないでよ、失礼でしょ」
シエルの非難の視線も何のその、キールはニヤリと笑みを浮かべる。この表情をしているキールは大抵ろくでもないことを考えているとシエルは知っていた。
「いや、もしかしたらこの道も罠だ——」
そこまで言いかけてたところで、突然後ろにいたキールの声が止まる。否、止まったのではなく正確には途切れた。
「……え?キール?」
後ろを振り返って、シエルの喉がヒュッと鳴った。
キールがいない。代わりにあるのは大きな穴。
その穴に落ちたのだと理解した瞬間、シエルは無我夢中で穴に駆け寄って叫ぶ。
「キール⁉︎ キール!!!」
「いてて……何だこれ? 落とし穴か?」
穴の中に落ちたキールは、始めは驚きはしたものの至って冷静であった。
落とし穴といっても、それほど深さはなく、子供騙しのようなものだ。相手の不意をつくためだけに作られたようで、キール1人でも十分に上にあがれそうだった。
穴の外からシエルの必死な叫びが聞こえる。
「キール! キール! 返事して!」
「おうシエル! 俺は大丈夫だ! 今上がるから待ってろ!」
「キール! キールっ……!」
「……シエル?」
シエルの様子がおかしい。だが、下からだと上の様子が見えない。急いでキールは穴を這い上がった。
穴からひょっこり顔を出すとシエルを安心させようとニカッと歯を見せて笑ってみせた。
「シエル! ほら、俺はこの通りピンピンしてるぜ!」
「キール! キール!」
「シエル……? お前、どうした?」
上がった先にいた、シエルは号泣していた。
そしてキールが穴から出たというのに、今もなお、誰もいない穴に向かって叫んでいる。
困惑と焦りを含んだ顔でキールはシエルに近づいた。
「シエル! 俺はもう大丈夫だぞ!」
「キール! 死なないで! お願いキール!」
「シエル、シエル、落ち着け。こっちを見ろ」
「おねがい、おねがい……死なないでキール……」
シエルの身体を無理矢理こちらに向かせる。だが目を合わせようとしても、合わない。どこか遠くを見ているような、幻覚を見ているような、そんな目だ。
頰を流れる涙を何度拭ってやっても、一向に止まらない。
「死なないで……死なないでキール……」
「大丈夫だシエル、俺は死んでない」
「キール、キール……私のこと忘れないで……」
「シエル? お前……」
シエルの言葉にハッとした時、しゃがれた声が響いた。
「——何じゃ何じゃ、尋常でない悲しみを感じて来てみればこの騒ぎは」
「っ⁉︎ 誰だお前!」
声がする方に居たのは、白いフサフサの髭を生やした老人だった。キールは咄嗟にシエルを腕に抱いて庇う。
そんな様子を見ても老人はめんどくさそうにボリボリと首を掻いている。
「お前の方が誰じゃ若造。断りもなく私の森に入りおってからに」
「俺はキール・ジャンナー、こっちは仲間のシエルだ」
「……キール? キール? はてさて、何処かで聞いた名前の気がするのぅ」
「城の騎士だ! 今日、西の森の魔術師を訪ねると書状で伝えてあるはずだ!」
「おお〜! そうじゃったそうじゃった! 訪問者リストにそんな名前があったなそういえば」
ぽんっと手を打つと、「最近忘れっぽくなっていかんわい」と言いながら老人はまた首をボリボリと掻いた。
その呑気な様子に些かイラつきながらも、キールは確信をもって言った。
「あんた、西の森の魔術師だろう?」
「いかにも。私が西の森の魔術師トレハースじゃよ。いやぁ〜すまんのぅ、来客があるとすっかり失念して防犯用の罠を解除するの忘れとったわい」
「今はそんなことどうでもいい! それより、助けてくれないか。仲間の様子がおかしいんだ」
「ほぉ〜ん、どれどれ」
トレハースが杖をつきながら、キールの腕の中のシエルを覗き込む。
「キール……キール……」
シエルは未だ泣き止まず、うわごとのようにキールの名前を繰り返し呼んでいた。
それを見たトレハースが沈痛な表情で優しく声をかける。
「おお、おお、可哀想に。辛いことを思い出したんじゃな。娘さん、今楽にしてやるぞ」
トレハースが手をシエラの額にかざして何かを唱えると、シエルがフッと意識を手放した。
少し警戒した顔でキールがトレハースを見る。
「……今のは?」
「何、少し眠らせただけじゃ。といっても、しばらく目は覚めん。今まで溜まっていた悲しみが一気に溢れてしもうたからな」
「悲しみが溢れた……?」
「心が限界を迎えたということじゃ。ほれ、ついてこい。詳しい話は私の家で話してやる」
コツコツと杖をつきながらトレハースが先を行く。
「シエル……」
涙で濡れたシエルの頬をキールはもう一度優しく拭ってやる。先ほどの取り乱したシエルの様子が、絶望に染まったようなあの顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
(……俺、シエルのあんな顔、前にもどこかで……)
そこまで考えて、キールは切り替えるように頭を振る。
腕の中のシエルをもう一度しっかり抱き直して、トレハースの後に続いた。
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