目覚めると人間だった

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目が覚めたら 人間だった これはたぶん 夢なのだろう わたしは猫だ 吾輩というほど偉くはない 目覚めたここは、わたしがさっきまで昼寝をしていた駐車場だな。 昼間は大抵ここで過ごしている。 人間になったんだ、少し歩いてみよう。 二本足は新鮮だな、歩幅は広いが軽やかにとはいかない。 高い視線は落ち着かないが、なるほど遠くまでよく見える。 そうだ、せっかく人間になったのだから行ってみたい場所があった。 わたしは普段は歩かない道路の上を歩いた。 人間だから普通だろう。 おっと車だ!人間といえど真ん中を歩くのは危険らしい。 やがて目的地に着いた。 ここは『コンビニエンスストア』と呼ばれている場所だ。 いつもたくさんの人間が出入りしている。 その中には、出て来た時にいい匂いをさせているものもいる。 中に何があるのか、興味がそそられるではないか。 入口まで行くと自然とドアが開いた。 驚いてはいけない、わたしは堂々と中へ進んだ。 中には、ばらばらと5・6人の人間がいる。 よしよし、誰もわたしを猫をみるような目で見てはいないな。 店の中は雑多ながら整理されている。 おいしそうなものが並んでいる棚もあるぞ。 これは自由にとっていいのか? いや違うらしい。 手に取ったものをほかの人間の所へと持っていかなければいけないようだ。 そしてやり取り、 「袋入りますか?」「ペイで」「チャージしますか?」「お箸ください」 いろいろと複雑そうだ。 空腹ではあるようだが、今のわたしには あまり食指は動かなかった。 わたしは店を出ることにした。 自動ドアをくぐると、外から女の声がした。 「わ、猫いる」 「ホントだ、かっわいぃ!」 ちょっとビクリとしたが、どうやら わたしに言ったわけではないらしい。 店のドアから少し離れたところには緊張感なく一匹の三毛猫が寝そべっていた。 この辺をねぐらにする『ミケ』だ。 どうやら、そのミケを見つけた若い女がふたり、声をあげていたのだ。 このミケは仔猫の時から知っているが、今はこの『コンビニエンスストア』の周りいに居ついて、人間に甘えるのがうまくなりエサにも不自由していない。 ミケは自分が注目されていることに気づいて「ミャオ~」と可愛げな鳴き声をあげる。 まさに猫撫で声だ。 女たちはミケを撫でまわすだけ撫でまわすと、「バイバ~イ」と言って店に入っていった。 取り残されたミケは、お目当てにはありつけなかったようだな。 チェッ!という声が聞こえてきそうな表情をしていた。 ミケはちらりとわたしを見た。 気づいたかどうかは分からなかったが、あまり興味はないらしい。 そのときミケの目に緊張感がはしった。 すっと身を翻すと、ささっと離れていった。 そこをひとりの痩せた男が、足早に通り過ぎていった。 ミケはこの男の気配を感じたのか、 なんだか嫌な感じがする人間だ。 気がついたら、わたしは男の後を追っていた。 やがて男は『公園』へと入っていった。 彼はキョロキョロとあたりを見回し、上着のポケットから何かを出した。 ん? 遊具の陰に猫がいる。 まだ仔猫だ。模様はザビクロ、警戒するような目を向けている。 「おい、こっちこい」 男は何かを握った手を突き出し、じわりじわりとサビクロの仔猫に近づく。 この臭い… マタタビか? 何をしようとしているんだ? サビクロもその臭いに気がついたか、男に近寄ってくる。 サビクロが男の手の中の臭いを嗅ごうとしたその時だ、 ピシュッ と小石が飛んできて男の脇をかすめた。 「なんだぁ?」 男は小石が飛んできた方を見る。木の陰から小柄な人間の姿が逃げていくのが見えた。 「おい、小僧か!この野郎」 男はそちらに向かい怒声をあげた。 そして振り返った時に、今度はわたしがいるのに気づいた。 目が合うと男は、言い訳がましそうに言った。 「なんだよ、猫にエサやってるだけじゃん」 わたしは黙ったまま、たぶん じっと男を見ていたのだろう。 「わかったよ、そう怖い顔するなよ」 言い放つと、男は背中を丸め立ち去っていった。 怖い顔? わたしが? ぽつんと残された仔猫は、不思議そうな瞳でわたしを見ていた。 背後に物音がして我に返った。振り返ると少年が立っている。 さっき石を投げた小柄な人間は彼だったのか、 「すごいね おねえちゃん。あいつ追い返しちゃって」 少年はわたしの目をまっすぐ見てそう言った。 そうだ、この少年には見覚えがあった。 わたしのいる駐車場に、夕方近くになるとよく現れる。 馴れ馴れしく近づいてきて、そしてたまに変わった食べ物をわたしにくれる。 それは、おいしいヤツだったり、食べれないヤツだったりした。 「あいつさ、ああやって猫をおびき寄せて捕まえて酷いことするんだよ。よかったよ、おねえちゃんが怒ってくれて」 わたしが怒ってた? 猫は怒ることはできない。威嚇はするがそれは怒りからではない。 「どうしようかな?」 少年はそう言いながら、手に下げたビニール袋の中から、何かを取り出そうとする。 ふわりといい匂いが広がった。 「クロジイにあげようかと取っておいた給食のアジフライだけど」 サビクロもその匂いに気づいたか「ニー」と声をあげた。 その期待の声に押されたか、少年はアジフライを差し出した。 ザビクロは脇目もふらず食べ始める。 たたずむ少年の足許で、必死で食べて命を繋ごうとする仔猫。 人間になって気づいたが、この少年は猫が好きな人間なんだろう。 わたしは ぼうっとその光景を眺めていた。 ぼうっと、 なにかあたりがぼやけてきた、そして頭がくらくらしてきた。 立ち眩みというやつか。猫の時には縁がなかったものだ。 わたしは思わずしゃがみこんだ。 しばらくしてそれは収まってきた。 ゆっくりと顔をあげたが、そこは何かが変っていた。 場所は同じだ。しかし少年の姿はなく、彼のいた場所には老人が腰をかがめていた。 老人は傍らのシルバーカーに手を添えると立ち上がった。 足許には黒い仔猫がいる。 黒い毛並みは薄汚れ、痩せっぽっちで可愛げがない、それでもか細い声をあげた。 「こめんよ、もうないんだよ」 老人はゆっくりと歩きだす。そのうしろを仔猫はついていこうとする。 かすれた声を、必死にしぼり上げて、よろめく足、 老人は振り返り、じっと猫を見た。 「君を最後まで面倒みることはできないんだよ」 また歩きだす老人、啼く仔猫。 老人はまた振り返り、仔猫をみつめた。 仔猫は小刻みに震え、すがるような眼をしている。 やがて老人は腰をかがめると、黒猫を抱きかかえ腕に乗せた。 「しょうがない、うちに来るかい」 仔猫は、シルバーカーを掴む老人の腕にしっかりとしがみつく。 そして歩き始めた。 ああ わたしの頬をなにかが伝って、そしてそれは地面に落ちた。 猫は涙を流せない。 わたしは今、猫ではなかったな。 そうなんだ、あの黒い仔猫はわたしだっだ。 そしてあの老人はわたしの唯一の飼い主。 それは、もう忘れていた思い出だった。 わたしの足は自然と彼らを追った。 そして彼らは一軒の古い家に入って行った。 そうだ、この家だ。 ここで老人と暮らした。たぶん短い間。暮らしぶりはよく憶えていない。 ただ、わたしにとってこの頃が一番幸せだったのだと思う。 そして目の前の景色が、まるで早送りのように過ぎていった。 しばらく経ったある日、わたしである仔猫は散歩をして帰ってきたが、いつも少しだけ開いている窓が閉まっていた。 その頃にはもう、わたしも食べ物を確保できるくらいにはなっていたので、飢えるほどのことはなかった。 その日は、あきらめて別のねぐらへと行った。 それからも毎日、老人の家には決まり事のように訪れていたが、窓は相変わらず閉まったままだった。 数日後のある日、その部屋には電気がついていた。 ああ老人が帰ってきた。わたしはそう思ったのだろう、中に入れてもらいたくて窓ガラスに爪をたててカリカリとかいた。 中に人影がみえた。老人ではない見たことのないふたりの人物が窓際に近づいてきた。 「あなた開けちゃだめよ」 「でも… きっとお父さんが面倒みてたんだろう」 「どっちにしろ飼えないでしょ。この家もうなくなっちゃうんだし」 いつの間にかあたりは、目覚めた駐車場になっていた。 そうだ、あれからこの家は取り壊されて この駐車場になったのだ。 そうか、だからわたしはまだ この駐車場にやってきて昼間を過ごしているのか。 わたしはよく昼寝する駐車場脇のベンチに座った。 力が抜ける。放心するするというのはこういうことか。 そして横になった。 なんか、睡くなってきたな… あの家の老人はいなくなった あの時は どこへ行ったのかもわからなかった そういえば わたしも老いたな… ああ、そうか きっとわたしも そこに行くのだな また老人と会えるのかもしれない もう どんな顔をしていたのかも憶えてないけれど でもきっとわかる あの暖かく包まれる感じ はっきりと思い出せる 暖かい… 暖かい… あたたか…ん? 寒いぞ、 ひんやりとした風がわたしの毛を撫でていく。 おやおや、 どうも寝入っていたようだ。 わたしはゆっくりと目を開けた。 変わりばえのしない駐車場の眺めだった。 なんか、奇妙な夢をみてたな。 長い夢… 人間になって歩き回って、それから昔の自分を見た、そして懐かしいひと、 最後は… 「あっ!」 その時、大きな声がして、わたしの追憶の思想が分断された。 「クロジイがいた!」 ああ、あの少年ではないか。わたしを見つけると、いつものように馴れ馴れしく近づいてくる。 なんだ、そのクロジイというのは わたしのことだったのか。 それにしてもジイとはなんたる勘違いだ。 で、あれ? なんだろう? 言っていることがわかるぞ。 少年の、人間の言葉が… さっきの夢を引きずっているのか? 「ごめんな クロジイにあげようと思ったアジフライ 別の仔猫にあげちゃった」 「その仔あまりにも ちっちゃかったから家に連れてって、お母さんに頼んだら飼ってもいいって… チビっていう名にしたんだぜ」 チビはやめたほうがいい、すぐにデカくなる。 とはいえ、わたしは自分が安堵していることに気づいた。 ただアジフライは惜しかったな。あれはおいしい方のヤツだ。 「あれ?しっぽのさきっちょ、われてるよ」 と、少年は言った。なんだと? それから、触ろうとして手を伸ばしてくるではないか。 なるほど、そういうことだったのか。 わたしは何かに目覚めてしまったようだ。 今までにはない色々な感情を覚えるようになっているではないか。 わたしは少年の手をすり抜け身を翻す、最近にしては軽やかな身のこなしだ。 それから素知らぬていで、そこを立ち去った。 「おおい、待てよ」 少年の声が追いかけてくる。 しかし、ここで待ってはいけない。 だって、これからは、言葉がわからないふりをしないといけないからな。
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