『魔法使いの猫と千年の家』~にゃんすけと魔法使いと千年の家~

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 僕が篠崎にゃんすけになって、一年になろうとしている。カレンダーは三月になっていた。まだ成猫ほどじゃないけど、だいぶん大きくなっていると思う。僕から見てだけど。  きちんと窓ガラスに映る僕自身を見て判断している。絶対前より成長している。  つまり、僕はどこへでも行けるはずなんだ。  だから僕は夢の中で二番目気になっていた温室にある研究室へ行くことにした。  気になる所の一番はもちろん台所だけど、入っちゃいけない場所だからね。入ったらごはん抜きって留さんからも言われていて、それは工藤にも引き継がれる約束らしい。僕が絶対に破っちゃいけない約束なんだ。  破ったらお菓子抜きって言われている。だから絶対入れないんだ。  そういうことなので、とりあえず二番目に挑戦することにしたんだ。  そして今、僕の前に大きな壁が立ちはだかっていた。ほとんどが透明だから壁の向こうに何があるのか見えている。でもさらに奥に何があるのかはまったく見えない。  それは、今は誰も使ってない温室だ。  夢の僕はいつも自由に出入り出来ていたのに、こっちの僕はまったく出入り出来なくて、扉の前でじっと睨み付けることしかできない。手で押しても、体で押しても、僕専用の扉は動かない。人が出入りする扉も、うんともすんとも、びくともしないんだ。  真一郎さんからは入れるって言っていたんだけど、僕の出入りしていた猫用の小さな扉も、人用の扉も、まったく動いてくれなかった。  だから、僕は真一郎さんを呼びに行ってついてきてもらった。  そしたらおかしなことに真一郎さんが開けるとどちらも開く。  真一郎さんは開いた扉を見て、そして僕を見て、「まだちっちゃいからじゃないかな」って笑った。  ひどいよ。僕も大分大きくなったのに。  仕方ないので僕が入りたいときは真一郎にお願いすることにした。留さんはとても忙しいから、留さんにお願いするのは遠慮してるんだ。  だって留さんはこの家の家事を工藤に教えるという仕事が増えたからね。  でも仕事は増えたけど、留さんは前より楽しそうだ。どうしてか聞いてみたら、工藤に手伝ってもらえるし、仲間が増えたからおしゃべりも出来て楽しいからって言っていた。  僕も留さんのごはんだけでなく、工藤のごはんやお菓子も食べられるようになってとっても嬉しい。  ごはんの確保が出来たから、僕は夢の中の出来事を確認することにしたというわけなんだ。  僕は前よりすごく大きくなったから、庭に出ても怒られなくなった。  でも庭の向こうにある森の中はまだダメだって言われている。前は隣にある大学ってとこまで工藤を探しに行ったこともあるんだから心配しなくても大丈夫なのに、みんな心配性だなぁって思うよ。  でも夢の中の僕も森の奥には注意をしていたみたいだ。だからみんなが心配するのは大事なことなのかもしれない。  そういうわけで、夢の中で何度も出てきた温室を探検することにしたんだ。  温室は夢の中でも緑がいっぱいでテレビや本でみたジャングルみたいだった。こっちでも外から覗いた温室の中は、緑がいっぱいで、やっぱりジャングルみたいなんだ。そんな状態だから、奥の方は緑の葉っぱが邪魔をしていて見えない。でもそれが僕の中の何かをそわそわさせるんだ。  夢の中の僕は、このジャングルの中を王様みたいに悠然と歩きまわって、お昼寝もしていた。  だから僕もそうする予定なんだ。  まぁ、出だしでつまずいちゃったけどね。  まさか、『魔法使いの猫』の僕を、扉が拒否するとは思わなかったんだもの。  まったく動かなくて、あんまりびっくりして、僕は少しの間、扉に手を掛けたまま止まってしまったくらいだ。  だって僕は『魔法使いの猫』なのに、この家の管理猫なのに、入れないなんて、わけわかんないよ。  家は別にイジワルしているわけではなくて、僕に必要な何かが足りないって言っているような気がする。  そうだとしたら、もしかしたら僕はまだ『魔法使いの猫』になってないのかもしれない。マンガや小説とか、テレビとかでも、何かをやって力を得られるってなっていたもの。  それにそうでないと、『魔法使いの猫』である僕が入りたいって思っているのに、扉が開かないのかなんてありえない。  そんな話を真一郎さんに話したら、面白そうに「そうかもしれないね」って笑っていた。真一郎さんが「違う」って言わなかったから、多分合っているはずだ。  真一郎さんは僕を温室に入れてくれると、お昼ごはんの頃に迎えにくることと、喉が渇いたら温室の中の水道の下に置いてある桶に水が張ってあるから、そこで水を飲むようにと言って、水道のある場所を教えてくれた。僕も夢の中で水道がどこにあるのか知っているけど、おとなしく付いて行って一応確認しておいた。桶の水もちゃんと置いてあって、水も一杯に張ってあった。その水はキラキラと輝いていた。  真一郎さんがいなくなって、僕は改めて温室の中を眺めてみた。  とても広い。  おかしいな。夢のときはもう少し小さかったはずなのに。  まるでどこまでも広いジャングルに放り込まれたみたいだ。  少し怖くなって、僕はその場に伏せて辺りを観察した。  ふと横を見たら、ガラスの向こうに草が生えていてちょっと暗くなっていて、だけど僕のいるところは明るくて、ガラスが鏡みたいになっている。  それを見て、僕は納得して安心した。  なんだ、僕がちっちゃいから温室が広く思えたんだ。  安心したらちょっと恥ずかしくなって、周りをキョロキョロと見てみた。真一郎さんも、もちろん真幸の姿もない。  良かった。だってこんなビクビクしてた姿を見られたら、後で色々みんなに話されちゃう。  僕はもうだいぶ大きくなったのに、未だにみんなが子ども扱いするから、少しでもそこは回避しなくちゃいけない。大人の仲間入りをして、イゲンってやつを得られたら、すぐにでも『魔法使いの猫』に変身できるかもしれないもんね。  それに出来なくてもステップのひとつかもしれないから、とても大事なことだと思うんだ。  真一郎さんに話したら、どうしてなのかわからないけど我慢するみたいに笑ってた。でも違うって言わなかったから大丈夫だと思う。  ちなみ真幸にも話してみたけど、やっぱり未だに猫語が全然わかんないみたいで、楽しそうに笑いながら「そっかそっか」と言って、僕のおつむをくりくりしただけだった。  まぁ、気持ちいいからいいんだけど。  僕は安心して、温室の中を歩いてみた。どこに何があるのか大体知っているけど、さっきみたいに夢と現実とに差がある場合もあるから、確認は必要だと思う。  温室はとても広い。  夢の中の僕の記憶によると、とても昔、ここに住んでいた魔法使いがとある術を発動させるための薬を作るために、世界中からいろんな植物を集めたんだって。だから温室だけでなく、庭も森も、季節や植生がわからないヘンテコな場所になっちゃったそうだ。全部の植物の管理をしないといけないんだけど、世界中から集めてきちゃったから、季節や土壌がどれも違っていて、誰も管理なんて出来ない。  だから魔法使いは考えた。  だったら出来るものにやってもらったらいいんじゃないかって。人ができないんなら家にいろんな能力をつけて自動管理してもらおうって考えて、そんな術を作って家に掛けてしまった。  しかも、それは植物だけに固定することをうっかり忘れて、家が家だと認識した範囲すべてという指定になってしまった。  魔法使いはとても忙しくて、その後にどうなるかなんてきちんと考えていなかった。そしてそれは魔法使いにとってそんなに重要なことでもなかったんだ。  だから「そんなに大したことじゃない。大丈夫だろう」って考えて、放ってしまった。  何故なら魔法使いはとても大事な術の開発をしていて、それ以外はすべてがそれほど大切なことじゃなかったから。  そして大事な術を作った後、どこかに行ってしまった。  家と猫に「すぐに戻る」と告げて、その間は猫に「留守番を任せる」と言って。  そして、それからずっと魔法使いの猫は魔法使いの帰りを待っているんだ。  まぁ、猫は寝るのが仕事だから、魔法使いが留守にしていることなんてそんなに気にしていなくて、そのうち戻るだろうって呑気にしていた。だから猫的にはまったく問題はなかったんだけど。  そして未だに魔法使いは帰ってこない。  魔法使いの「すぐ」って、一体どのくらいの時間の長さなんだろう。  今、僕が済んでいるこの家は、魔法使いが住んでいた頃よりはマシな状態みたいだ。森も、庭も、温室も多種多様な植生ではあるけど、取りあえずその植物に合った季節に花が咲いて、実が生っている。  ただそれでも植物学者からするとわけわかんないらしいけど。  温室の中の植物は真ん中と一番奥に背の高いものがある。僕はそれを眺めながら左奥へと進んで行った。  夢の中ではそこに真幸の研究室があるはずなんだ。そんなに大きくはないんだけど、いろんなものが置いてあるはず。  魔法使いが最初に作った部屋で、術を作るための研究室でもあったから、保管するものが増えたら増えただけどんどん部屋が大きくなっていく。  どこまで広がるんだろうって、魔法使いの猫も思ったこともあったけど、そう思った時に「ごはんだよ」って呼ばれたんだ。だから魔法使いの猫はすぐに疑問に思ったことを忘れてしまって、ごはんへ駆けて行ってしまった。だから今でも謎のままになっている。  まぁ、わかるよ。  だって、人生のなかで大抵のことはごはんやお菓子より大事なことは無いからね。  温室の奥についたら、そこにはやっぱり扉があった。僕が知っているよりずっと大きな木の扉だ。  正方形に近くて重い感じがする。温室にあるものを中に移動させるときのために広く取ってあるんだ。  ちなみに外から出し入れするときは研究室の奥にある大きな扉で出し入れするんだ。あまり使うことはなかったみたいだけど、大きな荷物のときは必要だと思う。どちらもドワーフが住んでいそうな扉だ。しかも、どうしてなのかは知らないけど、そんなに重くない。魔法使いは使い勝手を考えて、重くみえるけど実は軽い扉をつけることにしたんだ。でもとても頑丈なんだ。  軽いとわかっているその扉に前脚をかけて、ぐーっと押してみた。  開かない。  今度は体ごとぐーっと押してみた。  やっぱり開かなかった  いまでも家が管理しているのか温室は整っている。だからたぶん研究室も管理されているんだろうな。そう思って少し安心した。  開かないには仕方がないので温室を散歩することにした。  バナナやパイナップルもあるし、アボガドやキウイやアセロラやパパイヤやマンゴーもある。キウイはマタタビ科マタタビ属だから、猫にはヘロヘロになっちゃうものらしい。  でも僕は全然大丈夫なんだ。『魔法使いの猫』だからって思っているけど、真幸は真一郎さんに「子猫だから反応しないみたいです」とか言っていた。  失礼だと思う。まだ成猫ほどじゃないけど、すっごく大きくなったのにっ。  あとはサボテンもたくさんある。果肉のとか、真っ白のふわふわに見えるけど、触ったらふわふわじゃないやつとか。睡蓮も甕に入ったのが五つくらいあるし、トウシキミやコショウ、ベルガモットやジャスミンもあるんだ。  夢の中でも、この中にはとても危険なものもあって、口にしちゃいけないって言われているから木登りするだけにしていた。  僕はそんな木々の間を確認してみる。変なものがないかの確認だ。  それも飽きたので、僕は水道の近くにある樽の上に登って香箱座りをした。  眠たくなってきちゃったんだよ。だって猫だもの。  天気は良くて、温室のガラスの向こうは青い空と白い雲が浮かんでいる。僕の上には大きな木の葉っぱの影ができていて、木陰を作り出していた。  水場にいるから、ごはんの時間になったって呼びに来てくれた真一郎さんにもきちんとみつけてもらえるからね。大丈夫なんだ。  安心して目を瞑ったら、一気にどこかに落ちていくような気分がした。まわりに色々な光が流れていくけれど、何の光なのかまったくわからない。  でも、ただただ深く深く、ゆっくりのようなとても速いような感じで、どこかに落ちていくようだった。
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