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鼻から息を吸い目を見開いたままでいると、真っ白になっていた視界が徐々に戻り、周りの光景が自分に押し寄せてきた。
行き交う人々。車。向こうの交差点から聞こえてくるのは「ふじの山」のメロディだった。
土曜日の昼過ぎ。これでもかと出迎えの車がひしめいていた。その後ろを路線バスが窮屈そうに走ってゆく。
どれが目当ての車なのだろう。
そもそも相手はどうやって自分を見つけるつもりなのだろうか。
行き過ぎるバスの方に気を取られていたらふいに背後から肩をたたかれた。
「えっと、間違いだったらすみません。香月さん?」
振り返ったゆかりは、そこで固まってしまった。
だってそこには、死んだはずの……。
尚人が立っていた。
*
男は、車の中で井橋桜亮と名乗った。
運転の途中、停車するたび、バックミラー越しに笑みを含んだ視線を投げかけられるのだが、どう反応していいか分からず、後部座席で、膝の上と横に置いたバッグの持ち手をぎゅっと握りしめていた。
どれくらい車に乗っていたものか……外の景色を見る余裕もなかった。
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