秋灯

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 へえ、と私は白髪の混じった顎髭を撫でた。  長年生きてきたが、知らない言葉もあるもんだ。  ではこれも、秋灯ということになるのかな。  長机の上の小さなランプを灯す。散乱した原稿用紙が、ぼうっと橙色の光に照らされる。 「あなた、まだ起きてるんですか」  ぱたぱたと足音を立てて、文子が廊下を歩いてきた。木造平家建ての小さな我が家では、私が小さな灯りをつけただけでも、すぐに妻にはわかるらしい。 「ああ、筆が乗ってしまってな」 「もう歳なんですから、程々になさってくださいよ」  そう言いながらも、お茶を持ってきますねと台所に戻って行く。  文子の淹れた温かいお茶を片手に、書いた小説を読み直す。隣で文子は静かにお茶を啜り、ぼんやりと窓の外を見ている。 「見て、あなた」  ふいに、文子が窓の外を指さした。  目をやると、ちいさな白い光がすうっと外を横切っていく。 「ああ、蛍だね。秋の蛍だ」  秋の蛍は夏の蛍に比べ、光も弱く体も小さい。そのため、朽ちゆくものとして例えられることが多い。そう説明すると、文子はほうっと声を漏らした。 「さすが文豪の大先生。博識ですわね」  橙色の秋灯に、横切る白い蛍の光。柔らかく照らされた文子の横顔を、私はじっと見つめた。  秋は短い。私や文子の命も、きっともうそう長くはない。 「文子」  小さく名前を呼んで、そっと白い手に私の手を重ねる。 「なんですか」  恥ずかしそうに微笑む文子に、私も微笑みかけた。 「秋は、良いものだな」 「そうですね」  秋の夜は、ゆっくりと更けてゆく。  秋灯の橙色が、柔らかく私たちを包み込むように照らしていた。
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