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気持ちの変化
父はきっちりと自分の死後のことを決めてくれていた。それは橙子によって滞りなく進められ、おかげで、私はずっと目覚めない眠りについた父のそばにいることが許された。
病院から一旦、家に連れて帰り仮通夜、それから葬儀場で本通夜、葬儀。霊柩車も父を安置する部屋も全て準備されていた。
父の遺体が安置されたのは、母の小さな仏壇がある部屋だった。
「私は、お父さんにありがとうも言えてなかったね…」
病気のせいか少し小さくなった父、それでも身綺麗なのはきっと橙子がそばにいてくれたからだろう。
人は死んでしまうと後のことなんてわからない。でもその時が来た時に誰かがそばにいることで安心していられるとしたら、なんとなく魂というものが救われるような気がした。
_____私は宗教なんてよくわからないんだけどな
「茜さん、お茶を淹れました。いかがですか?」
橙子がお盆にお茶を乗せて持ってきた。
「ありがとうございます。橙子さん、本当にありがとうございました。こういう時に使うんですかね?遠くの親戚より近くの他人って、あ、他人じゃないですね、ごめんなさい」
「いいんですよ、茜さんからしてみれば他人ですから。戸籍だけは親子ですけどね。だから何かあった時は、私でよければ相談に乗りますよ」
ほんわかと、柔らかく微笑む女性なんだと気づく。
「重ね重ね、ありがとうございます。あの、一つ確認したいことがあるんですが…」
私は、さっきから気になることを訊いてみることにした。
「この家を橙子さんに、と父からの手紙に書いてありました。でもご覧の通りにここには亡くなった母の仏壇もありますよ」
「そのことですか。それは忠文さんにも訊かれました。私としては、このご仏壇を預からせていただきたいんです。茜さんのお母さんと生きてきたことも忠文さんの人生ですから。それにここは茜さんの実家です。何かあった時にはいつでも帰って来れるようにしておきたいんです」
「そんな私のことなんて、どうでもいいんですよ。なんなら、ここを売ってもらっても構いませんよ」
ぬるくなったお茶をずずっと飲んだ橙子。真っ白な布団に寝かされている父を見ていた。
「私、忠文さんの他には、身内と呼べる人が誰もいないんです。結婚もせずずっと1人で生きてきました。それでもいいと思っていました。1人でも大丈夫だと。でも、忠文さんから見たら私はひどく寂しそうだったみたいです。なので家族になろうよって」
「そうなんだ…」
「それに、待つ人がいる、待っててもいい人がいるって、うれしいことですよ。一人ぼっちじゃないんだって思えますから」
そうかもしれない。私だって、実家がなくなってしまうのは寂しい。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「はい。もちろん。それに、今度はお2人で帰ってくることになるでしょうから」
「2人?え?」
_____あ、そういば結城君がいない!
キョロキョロと探すが見当たらない。
「一旦会社に戻って、またすぐ来るからと出て行かれましたよ」
スマホに結城からのLINEがあった。
『ちょっとだけ仕事をやっつけてきます。チーフはそこで、お父さんにちゃんとお別れをしてくださいね』
また、結城に助けられてるなぁと思った。それはいつのまにか、『迷惑をかけて申し訳ない』というより『助けてくれてありがとう』という気持ちに変わっていた。
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