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恋愛経験値
「おはようございます。もういいんですか?チーフ」
日下が声をかけてくれた。
「うん、もう手続きもほとんど終わったし、あとは橙子さん…、あ、身内に任せてきたから大丈夫。長い間お休みをいただいて、申し訳ありませんでした」
フロアのみんなに向かって、一礼した。
父の葬儀から一週間後、私は仕事に戻った。といっても、休みの間も結城が色々手配してくれて、私がやるべき仕事はそんなになくてホッとした。
「森下、次のプロジェクトが始まるから、また頼むよ」
課長に肩を叩かれる。
「はい、やらせてもらいます。えっと、あの、結城君は?」
「アイツは、君がいない間にすっかりデキル男になったよ。あれだな、ライオンの親子だな、可愛い子を崖から突き落とすってやつ。さしずめ森下が母親だな」
「あー、まぁ、そうですね」
なんて答えていいかわからず、適当に誤魔化す。
_____母親ねぇ…
結城の恋人、には見えないか、やっぱり…
その時足音がして、結城が帰ってきたのがわかった。
「おはようございます、チーフ。昨日話してた新しい取引先とのアポ、来週の火曜日10時にこちらから伺うことにしました、いいですか?」
「え?あ、うん、じゃない、はい。ありがとう」
「じゃ、俺はその時に提示する書類を作るので、あとで目を通してください」
それだけ言うと、自分のデスクに戻っていった。
_____えっと、あれ?こんな感じだったっけ?
結城は、お葬式の前までよりそっけなくなった気がした。プロポーズ(?)されたのだから、今までよりもっと犬っころみたいにまとわりついてくるのかと思っていた、というかそれを期待していたのだけど。
「どうしたんだ?森下。結城がデキル男になって驚いたか?」
三崎がイタズラっぽい目で言う。
「まぁ、そんなとこ。なんだかキリッとしたような?」
「よっぽど、森下の役に立ちたいんだろうな。森下が帰ってる間、アイツは今までの倍以上働いてたぞ、褒めてやれ」
「うん、そうする、ありがとう」
お葬式の後も、毎日家まで来てくれた。その都度仕事の報告と、次の段取りを打ち合わせて私が思っている通りにやってくれたのだった。
私は自分のパソコンを立ち上げて、メールを確認した。ほとんどにccが付いていて、結城が代わりに対応してくれていたのがわかる。
「チーフ、この書類とカタログに目を通してもらっていいですか?その後、オッケーならサインをお願いします」
日下がファイルを持って私の前に並べた。
「日下さんも、葬儀の時はありがとう」
「いえ、私は課長に連れられて行っただけですから。それで、ですね、何かあったんですか?結城先輩」
「結城君、頑張ってくれてるみたいで助かってるけど何かって、どんな?」
「チーフが実家に帰ってから、なんだかものすごく頑張ってて、近寄りがたくなったというか。冗談でも腕を組んだりさせてくれないんですよ」
「ふーん、そうなの?プライベートのことはわからないけど」
「そうですか…」
日下は、首を傾げながら席へ戻る。
昼休み。
ランチを食べに出て行く結城を呼び止めた。
「結城くん、ちょっと…」
「はい、仕事の話ですか?」
「そういうわけじゃ…」
「じゃあ、仕事が終わってからでいいですか?」
「そうね、帰りにでも」
「じゃ、あとで」
それだけ言うと出て行ってしまった。やっぱりなんだかそっけなくなった気がした。
_____私、何かしたっけ?
恋愛経験値が低い私には、結城の態度の変化がわからなかった。
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