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寿退社
次の日。
課長と二人で社長室へ向かった。日下が作成した書類はエクセルで数式が組み込まれていたので、どうしてあんな数字になったか理由がわかった。
それぞれ単価を入れれば、自動で消費税や合計額まで計算されて表示されるようにしてあった。単価を一桁増やしただけで、とんでもない数字になってしまう。
「では、それを誰がやったと言うのかね?」
「それは…」
横にいた社長付きの健介を見たが、目を合わせない。
「とにかく、決算のデータにそのまま反映されてしまうところだったんだ。かといって正確な数字を出すには時間がかかる。中止は中止だ。損失をどうやって処理するか?が問題だ」
やっぱり、目先の損失額と自分の立場のことしか考えていない社長だった。
「わかりました。では、責任は私が取らせてもらいます。これでいいですね」
私は社長の机に辞表を置いた。
「えっ、森下チーフ、それでは…」
課長が焦っている。
健介も驚いた顔をして辞表を見ている。
「ほぉ、君が責任を取ってくれるんだね?」
「はい、プロジェクトの責任者ですから、でも!」
社長が手にしようとした辞表を、先に押さえた。
「私が辞めることと引き換えに、約束して欲しいことがあります」
「な、なんだね」
「社長はこの会社のトップですよね?ならば、しっかりとご自分の考えをお持ちになって、適当な人間の適当な言葉に惑わされて判断を間違わないようにしていただきたいのですが」
私は健介を見た。ビクッとして見えた。
「適当な人間?」
「周りの話を聞くと言うのなら、できるだけ全ての人からできるだけ先入観を取り払って話を聞いてください、以上です!では!行きましょう、課長。引き継ぎもありますので」
私は先に立って社長室を出た。
_____あーっ、マンションのローン、どうしよう?
でも、橙子の顔が浮かんできて、不安はなかった。
私が辞表を出したという話は、あっという間に広まった。
「森下、なんで君が責任を取らなきゃならないんだ?悪いのは書類を改竄して提出したやつだろ?辞めてこれからどうするんだ?」
同僚の宮崎が心配してくれる。
「心当たりはあるんだけど。でも証拠はないんだよね。それに、こんなことになったのは結局のところ私が原因かもしれないし」
足音がして結城が来るのがわかった。
「チーフ、どういうことですか?なんでチーフが?」
「なんかもういいやって思っちゃったの、ごめんね、結城君。あー、でもどうせなら寿退社にしたかったなぁ?」
「そうか、わかりました、じゃあ…」
何かを思いついたように、日下の席へ行き何かを受け取ってすぐに戻ってきた。
「あらためて…」
そう言うと大きく深呼吸をして、私の前に跪いた。
「森下茜さん、僕と結婚してください」
差し出された手には、赤い小さなリボンがあった。さっき日下の机から持ってきたのは、このリボンだったようだ。
「な、なんで、いま…」
突然のことに、アワアワしてしまう。
「返事は!」
「は、はい!」
「じゃあ、今はこれで」
立ち上がって私の左手の小指に赤いリボンを結びつけた。
「ということでみなさん、森下茜さんは寿退社です」
うわぁっという拍手が沸き起こった。
「おめでとう!」
課長が最初だった。
「よかったな、森下!念願の寿退社だな」
宮崎。
「先輩!おめでとうございます。やっと願いが叶いましたね」
あの日下まで、拍手をしてくれる。
「というわけで、俺の大事な嫁さんに誰も手出しはさせませんからね!ね!新田さん!」
いつのまにか、入り口に立っていた新田に聞こえるように結城が言った。
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