予想外の幕開け

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予想外の幕開け

 病院という場所は、敷地内であればそれがどんな所でも、一律として消毒液のような、それでいて普段は嗅ぎ慣れない薬品の様な、そういうモノが充満しているように、僕には思えてならなかった。  けれどそれは、こんな体質の影響で、こんな不死身の異人としての影響で、僕には本来縁のない場所なので、単純にその環境に慣れていないというだけなのかもしれない。  だからだろうか...  まさかこんな光景を、こんな物語の序盤も序盤に目の当たりにするとは、思いもよらなかった。  僕の隣に立つ下柳さんは、もう既にそれを知っていたかのような様子だったけれど、彼女のように、僕は状況を読めるわけでも、ましてや覗けるわけでもないのだから、僕はそのとき、どうして彼女が、彼女の傍に居るのかが、理解できなかったのだ。  だから僕は、まだ本来なら口を開くには早すぎる気もしているけれど...  疑問符と、この名前を呼ぶにはまだ、色々と早すぎる気もするけれど...  このときは本当に、そのままの疑問符を、彼女の名前と、彼女の名前を言葉にして、目の前の少女二人に、発したのだ。  「琴音...なんでお前がここに...花影の病室にいるんだよ...?」  遡ること、約一時間前...  大学での花形イベントである文化際を終えた翌日、僕は大学での授業を終えた後、とある人と学食で待ち合わせをしていた。  どうして待ち合わせ場所が、わざわざ大学の学食かというと、大学というのは一般的に、在学生以外の人間も出入りが自由となっている場所で(もちろんその施設や場所にもよるが)、その中でも学食は、お昼頃になれば学生以外の人も、そこで昼食を食べに来る。  それだけ、大学関係者とそうでない人の垣根が、比較的薄い場所が、学食だからだ。  「やぁ~ここだよ~」  そう大きな声で言いながら、僕を見つけて手を振って、彼女はこちらを、まだ距離のある僕のことを、真っすぐと見つめる。  この大学の学生である僕は、ハッキリ言って友達が多く居るわけでもないが、別にまったく居ないというわけでもない。  だから僕は、あまり彼女の様な、その装いからして明らかに大学とは無関係な人間である彼女から、大声で手を振られることを、あまり好ましくは思えないのだ。  しかしそんなこと、この人には...  異人の専門家である下柳さんには、まったく、関係がないことだ。  「遅かったじゃないか~まったく~待ちくたびれたよ~」  そう言いながら、そう僕に向けて言いながら、今回は待ち合わせだったので、まぁ予告はあったけれど、その若い女性はあの時と変わらず、あの暗い住宅街の時と変わらず、相変わらずの長く綺麗な青い髪を揺らしながら、耳に付けたピアスを揺らしながら、着ている白色のワンピースを揺らしながら、そしてこんな、人目に付くような場所でさえ、右手には小さなピストルを持ちながら...  彼女は僕のことを、この大学の学食で、待ちわびていたのだ。  「すみません、思ったよりも授業が長引いてしまったので、少し遅れました」  彼女の向かいに座りながら、僕はそう言うと、下柳さんは少しだけ、からかう様な仕草をしながら、理系大学生なら誰しもが言われる定番を、口にする。  「そっか~大変だね~やっぱり理系は難しいの?」  「まぁ...そりゃ簡単ではないですけれど、でも今日の最後の授業は、教養科目の授業だったので、そういった意味での大変さはなかったです」  「教養科目...なにそれ?」  その彼女の反応を見て、そういえば僕は、下柳さんにこういった話をしたことがないということに気が付く。  けれどまぁ...そもそもこうして会うこと自体、今回で二回目(熱海の時のヤツは、どちらかというと遭遇したという感じなので、まぁカウントには入れまい)なのだから、こういう話をしたことがなかったのだ。  「あっ...えっと...この大学の僕が所属している学科は、規定された専門科目の単位と、それとは別で教養科目の単位を取得しなくてはいけないんです。だから単に、自分が専門にしている分野だけを勉強していればいいというわけでもなくて...」  そこまで説明をすると、今度はワザとらしく、僕の言葉に被せる様にして、反応をしてくる。  「へぇ~そうなんだ~大学生も大変だね~」  「...」  あぁ...きっと興味がないのだろうなぁ...  「...まぁ、楽ではないですかね...」   そう言いながら、僕は彼女から目を逸らす。  異人の専門家という人達は、みんなこういう人なのだろうか...  勝手に覗いたり、勝手に移したり、そうかと思えば、こちらの話に興味を示さなければ、聞こうともしない。  まったく...こういう大人には、なってはならないなと、そう思う。  そういえば...最近はこの街で、相模さんを見かけなくなった。  あの、大学生の様な装いの、四十代のおっさんは、僕と琴音と柊と行った、静岡の旅行以来、めっきりと姿を見せなくなったのだ。  あの人も、自分には頼って欲しいと言っていた癖に、こういうときに居ないのは、一体どういうつもりなのだろうか...  そんな風に憤りを感じながら、僕は目を逸らした先にある、大学の中庭に視線を移す。  そしてそこには、鏡越しに見える景色が、丁度夕方頃のような、そんな感じの色になっていたのだ。    まだ時刻は十五時くらいなのに、既に逢魔が時のような、そんな色。  すっかりと秋めいた外には、もう少しで冬がやって来るのだろう。  しかしもちろん、そんなこととはまるで関係のない僕は、そして下柳さんは、そろそろ目的の行動をするために、動かなくてはならないのだ。  「さて...じゃあそろそろ行こうか」  そう言いながら、下柳さんが席から立ち上がると、それを見て僕も、重い腰を上げて、席から立った。  そう...今日僕達は、これから病院で入院をしている、花影 沙織 (はなかげ さおり) に話を聞きに行くのだ。  どうして彼女が、狼の異人に成ったのか...  一体どんな影響で、彼女は異人になったのか...  それをこれから、聞きに行くのだ。  けれどこのときは、まさかあの場所に、柊ならまだしも、元は吸血鬼の異人で、今では五分の一が異人である...  ほとんど人間の、異人の少女。  佐柳 琴音 (さやなぎ ことね) が居るなんて...  この物語のこんな幕開けを、僕はまるで、予想することが出来なかったのだ。  
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