御家事情は冷たく重く…

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

御家事情は冷たく重く…

 もうすでに夕方と夜の間のような、そんな微妙で絶妙な時間帯である今日この頃、今まさに、この大学からほど近い、神野崎総合病院の病室で、それはそれは神妙な顔つきをした面々が、一つの病室に集められていた。  いや...そのうちの一人である花影は、元からこの病室で入院していたのだから、彼女を除いて、僕を含めた三人が集められたということになる。  一人は僕、不死身の異人の大学生 荒木誠(あらき まこと)  もう一人はこの人、異人の専門家 下柳(しもやなぎ)  そしてもう一人は...  「琴音...なんでお前がここに...花影の病室にいるんだよ...?」  そう、この少女...  佐柳 琴音 (さやなぎ ことね)    元は吸血鬼の異人で、今では身体の五分の一が異人で、五分の四が人間であるため、という言い表し方が、今はそれなりに正しい、そんな不安定で、中途半端な少女なのだ。  僕に問い詰められた琴音は、花影と話をするために座っていた、古びたパイプ椅子から立ち上がり、そして僕と専門家をじっと見て、そしてその後に花影の方を見て、頭を撫でながら優しく言ったのだ。  「ごめんね...少し話して来るから、ちょっと待ってて...」  その言葉の後、琴音は僕と下柳さんに対して視線で、「外で話そう」と言って来たので、僕は戸惑いながらも、しかしながら下柳さんは戸惑いもせずに、僕らは琴音に付いて行くようにして、病室を出た。  病室を出て、少し廊下を歩いた所で、自販機が置いてあるエントランスのような、そんな場所があったので、そこで話をすることになった。  最初に口を開いたのは、琴音からだ。  「...最初に言っておくけど、あの子、自分が異人になったことや、この間の事件の出来事、全部覚えていないよ...」  その言葉に、僕は反応して聞き返す。  「えっ...なんで...」  「さぁ...原因はそこの専門家にでも、聞いてみたら...」  そう言いながら、琴音は下柳さんの方に視線を移す。  「まぁ、覚悟はしていたかな...でもあの時は、あれしか方法が思いつかなかったんだ。狼の異人なんて、直接やって勝てる相手じゃないし、それに近くに不死身の兄ちゃんが居たんだから、早期解決のために手段を選んでいる余裕はなかった。だから大目に見てくれよ」  そう言いながら、まるで悪びれない様子の下柳さんに対して、琴音は普段は見せないような、怒りの色を持った瞳で言葉を放った。  「よく言うよ...あんな乱暴なやり方で異人体質を取り除けば、それによって何かしらの障害が残ることを、あんたが知らないわけがない。大方、異人体質者のことなんて、相変わらず何も考えていないんだろ...」    その言葉に、今度は下柳さんが、やけに冷たい温度で応える。  「だったらなんだよ...」  そう言いながら、下柳さんは琴音を睨みつけ、それに対して琴音も下柳さんを睨みつける。  そうした沈黙の時間が少しだけ流れたが、意外にも最初に視線を外したのは琴音の方だった。  そしてその外した視線のまま、ため息交じりで琴音は、言葉を続ける。  「はぁ...けれどあの子、教養科目で世界史の講義を受けていたことは、なんとなく覚えているんだって...それも水曜日の三限目...」  その琴音の言葉に、僕はまた反応して、横から言葉を入れてしまう。  「えっ...そんなに事細かく覚えているものなのか...教養の世界史なんて、後期だけでも三つあるだろ?」  そう、大学の教養科目は、同じ講義名でも、講師の先生によって、内容が少しだけ違ったり、講義の方法が異なる場合がある。  だから一口に世界史と言っても、その自分が登録した日時によって、他の日時とは違う世界史の講義になるのだ。  しかしここで、琴音がさらに、今度は前提を覆すことを言う。  「いや...日時に関しては、あの子は覚えていなかったよ...そもそも記憶が曖昧になっているんだから、世界史の講義っていうのも、なんとなくそんな気がする程度らしいんだ...」  そうだ、そもそも今の花影は、自分が異人になったことを忘れているんだ。  けれどそれなら...  「...だったらなんで琴音は、水曜日の三限って言い切れるんだよ...それにもしかしたら、世界史の講義のことだって...」  そう問い詰めようとした僕を見て、琴音はバツが悪そうに、あまり答えたくはないと言いたげな表情で、僕に言った。  「...いいや、間違いないんだ、誠。間違いなく、水曜日の三限の世界史の講義に、あの子が異人になった原因があるんだよ...」  そして今度は、悲しそうな表情で、しかし声はいつも通りを装うようにして、そのまま言葉を紡いだ。  「だって...その日時の世界史の講義...受け持っているのは、他の誰でもない私の姉 柳 凍子(やなぎ とうこ)なんだから...」  そのときの琴音の表情で、そのときの琴音の、いつもならあるはずがない、重々しい冷たい声で、僕は彼女の御家事情が、一体どれほどのモノなのか、このときは想像することが、どうしても、出来なかった。  
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!