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柳 凍子 という女性
柳 凍子 という女性は、一言で言えば『現実味に欠けている』
そのあまりにも浮世離れした美しい容姿と、その姿から放たれる透き通る凛涼な声から、目の前で話している今でさえ、僕はまだそれを現実として受け入れるための時間を、必要としてしまうのだ。
しかしそれは、昨日琴音からファミレスで話を聞いた時の印象と、今こうして実際に会ってみて、相対して話をしている時の印象が...
その印象があまりにも...
かけ離れているからだ。
あの夕食のあと、僕は何事もなく、家にたどり着いた。
しかし家に着いて、いつもの癖でポストの中身を確認すると、おそらく下柳さんが入れたのであろう郵便物が、僕の視界に飛び込んできた。
そこには宛名も住所も、郵便物であるなら本来は書かれてないといけないことが、何一つ書かれてはなくて、その代わりに一つ、『明日、柳 凍子 に接触しろ』とだけ、書かれていたのだ。
その経緯で、僕は今こうして、彼女との接触に成功しているのだ。
大学の授業というモノは、高校の時ほど厳密な出席確認をしない授業も多い。
特に様々な学部生が受講する一般教養の科目なら、なおさら、その傾向は強くなる。
その理由は、単に受講生の人数が多くなり、いちいち出席を確認するのは、流石に授業の妨げとなるからだ。
そしてそのおかげで、僕は彼女の授業に潜り込むことに成功し、そして先程の講義に関しての質問がある、意欲的な学生の振りをして、彼女と一対一で話したいと、申し出た。
そしてそんな僕に対して、彼女は何も尋ねずに、ただ了承するようにして微笑んで、促して、僕を彼女が使っているのであろう講師室に通したのだ。
ちなみに講師室は、案外、ホコリっぽいというわけではないけれど、それでも想像していたよりもずっと、年季を感じる部屋だった。
その部屋の、扉を開けた先にある、彼女が普段使っているのであろうデスクに、彼女は講義の資料として用いていた教材を置いて、そして振り向きざまに、それはそれは明瞭な声で、こう言ったのだ。
「それで、不死身青年君は、雪女の私に、何が聞きたいの?」
「...その物言いだと、気付いて居たんですね...」
そう言いながら彼女の、柳 凍子 の目を見て、その涼やかな眼差しのこの人には、ブラフやハッタリ等の類は一切通用しないことを、僕はなんとなく察知した。
「いつからですか...?」
「そんなの、最初からに決まっているでしょ。だってあなた、元から私の講義を受講していないじゃない。あなたみたいな特別中途半端な異人、もし最初から居れば、さすがにそのときに気が付いて、私から声を掛けるわ」
そう言いながら彼女は、涼し気に微笑む。
その表情を見て、僕はまた、とんでもない化け物と対峙しているのかもしれないと、ため息を漏らしてしまう。
「はぁ...もはや全部、お見通しって感じですね...」
「いいえ、全部ではないわ。どうして貴方が、わざわざこんな変な時期に、私の授業なんかに潜り込んだのか、その意図はどおしても、わからない」
「世界史の面白さに、今さらながら気が付いたんです」
「フフッ...ウソばっかり、私の講義をそんな風に聞いてくれる学生なんて、残念ながらこの大学には、ほとんど居ないわよ。みんな仕方なく、とりあえず履修単位を得ることが、それだけが目的の子たちしかいないんだから」
そう言いながら、彼女は視線を、今度は窓から見える外に移す。
その視線の先にある外は、いつもよりかはまだ暖かな気候だと、今朝の天気予報は語っていた。
「それで、本当は何を聞きに来たの?」
その彼女の言葉に、今度はちゃんと、本題に入ろうとするように、まずは一拍置いて、呼吸を整えて、彼女の名前を、この女性に投げ掛けたのだ。
「あなたの講義を受講していた学生の、花影沙織さんのことについて、柳さんにお聞きしたいことがあります」
そうたしかに、僕は言ったはずだった。
けれど驚いたことに、その名前を聞いても、このときのこの女性の視線や口調や雰囲気が、まるでなにも変わりなく...
変わりなくそのままの、最初から続く、冷たい温度のままで、彼女はこう言ったのだ。
「あー、あの子のことか...」
その言葉には、怖いくらいに、まるでなにも込められていなかった。
そしてそれが、その絶対零度のような感覚が、 柳 凍子 の 花影 沙織に対する興味の無さを...
そしてそれは、もはや無関心と言ってもいいくらいのそれであることを...
相対して話している僕が感じられないわけがなくて、そしてその目の前の彼女は、そういう女性であるということを、僕はこのとき、否応なく理解したのだ。
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