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第 3 話
1
大学3年の夏。
あと少しで、待望の夏休みに入るという頃のことだった。
天羽龍人にとって大学生活というものは刺激の少ない、空気のように実感の希薄なものになりつつあった。
ゼミは大学生活の中心ではあったが、経済学部のゼミなどというものは、それほど楽しいというものでもなく、若い龍人を惹きつけておくには、担当教授の講義は通りいっぺんのものだった。
かと言ってクラブ活動は、体育会系はオリンピックを目指しているのかと思うほどハードで、一方のサークル系はひたすら合コンとミスコンに力を注ぐ会員制のデートクラブと化していて、とても大学生活の空虚さを埋めてくれそうにもない。
学友たちは、それぞれガールフレンドや恋人と適当に青春しているように見えた。
そして龍人は、そのどれからも遠い距離にいる自分に気づいてしまっていた。
その日も、午後の講義をサボって、同じゼミの田宮と学生ラウンジでコーヒーを飲みながら、灰皿に吸い殻を山盛りにしていた。
「おい、天羽・・あれ、見ろよ 」
「ん? 」
「あの娘・・ 」
「どれ? どの娘? 」
「あの・・ダスティピンクのポロシャツの・・ 」
田宮の視線の先に、色彩の乏しいラウンジ奥の購買部の書籍コーナーを、華やかなにしている少女がいた。
ポロシャツにスリムなジーンズを合わせている。
スタイルには自信があるらしい。
歩き方にさえ、自信があふれているようだった。
新入生のような初々しさのある美少女だった。
書棚の背文字を丹念に見ながら、真剣に本を探している。
「あの娘がどうかしたのか? 」
「知りたいか? 」
「もったいつけるなよ。 俺は別に聞きたくない 」
「山根の・・ 」
田宮は龍人に耳うちした。
「まさか? 」
山根というのは、前回の学長選挙に敗れ、今や失意の日々を送っていると噂の、経済学部教授だ。
確か五十歳近いはずだ。
もちろん既婚者だ。
「ほんと・・ な? もったいないだろう? 」
はっきり言って不愉快な話題だった。
彼女は確かに、不倫をしているようには見えなかった。
でも、たとえ事実だとしても、他人が噂することでもない。
少女たちはいつも華やかな季節の服と、男などものともしないといったような生意気な笑顔で、龍人たちをドキリとさせた。
街の中でもキャンパスでも、それは少しも変わらない。
女になる少し手前の美しさで、自由気ままに自分では気づかぬうちに、男たちを挑発し続けている。
あどけない微笑をふりまいていても、大人の恋をしているのかもしれない。
龍人はそんな彼女たちが少し苦手だった。
少女は長いストレートの髪を手で弄びながら、次の棚に進んだ。
いったい何の本を探しているのだろうと思った時、彼女は目当ての本を見つけたらしい。
棚の上の方にあるその本を取ろうとしたが、少女はわずかに届かなかった。
その時。
彼女と狭いスペースですれ違う形になったひとりの少年が、しなやかな腕を伸ばして本を
取ってやった。
「ありがとう 」
彼女は礼を言い、一瞬だが少年の顔に目を奪われたようだった。
彼が少し長めの髪をかき上げると、細面の横顔が龍人の位置からも見えた。
柔らかな素材のシャツは、おさえた色合いの
アロハだったが、少しも派手には見えなかった。
あまりにもじっと見つめ過ぎたのか、龍人の視線に気づいたかのように、ふいに少年が振り向いた。
遠目でも、少年の瞳が不思議な色をしているのがわかった。
光の加減か、深い灰色に、そしてかすかに緑色にも見えた。
すらりとした身体つきが、ラフに着こなしている洗いざらしのジーンズのせいで、余計に
はっきりとわかる。
棚の下の方を見ようとして彼が身をかがめると、レーヨンのシャツの胸からかすかに素肌が見えた。
龍人の胸の奥で、小さな波が立った。
なめらかな肌にはりついた赤黒く見えるもの。
—— 痣か? それとも火傷? ——
醜く異質な何か。
「天羽? どうした? 」
「え? 」
田宮がこちらを見ていた。
つかの間、少年に目を奪われていたことに、龍人自身が驚いた。
「いや、何でもない・・ 」
「あれ、岩室だ 」
田宮が、目で示した先は、例の少年だ。
「ほら、彼女の向こうにいるイケメン・・ 」
田宮の言っているのは、あの少年のことらしい。
「一年の岩室・・ 岩室貴和 ・・ 」
—— いわむろ・・たかかず・・ ——
龍人は心の中でその名前をくり返した。
「あいつも何かあるのか? ・・学内一のイケメンとか言うんだろ? どうせ・・ 」
龍人がからかうと、田宮はニヤリと笑った。
「まあな 」
「おまえ、いつからそんなに情報通になったんだよ? 」
言いながら、龍人が書籍コーナーを見ると、もう少年の姿はなかった。
「そのうちわかるよ。 彼はある意味で有名人だから・・ 」
田宮の言葉は謎めいて、少年に惹かれ始めている龍人の心をまるで見透かしているようだった。
第 4 話 に続く・・・
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