花岡 未来 ― 1 ―

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 休憩室の扉を開けると、そこには先客がいた。 「そっか、奈々ちゃんも上がりなんだね」  シュルシュルと首元のリボンを解いてからに話しかけると、休憩室の椅子に座って机に立て肘でスマホをいじっていた彼女――春日奈々美ちゃんはそこから目を切って顔を上げる。 「花岡さん、お疲れ様です。花岡さんも七時までですか?」 「うん、私も今上がり。いやもう、眠くて眠くて」  そこまで言ってからあくびをすると、そんな私を見てか奈々ちゃんはニコニコと目を細める。 「それじゃ更衣室、先いいかな?」  クイ、と首を傾けて示すと、奈々ちゃんは笑顔のままに「どうぞー」と手を振る。私はそれに一つ頷いてから、更衣室の扉をノックしてから、返事がないのを待って扉を開ける。  この店の女子更衣室には、一つだけ絶対に守らなくてはならないルールがある。  それは、いきなり扉を開けないことだ。  何を当たり前なことを――誰とはなしにそんなことを言われてしまいそうなものだが、これが案外と馬鹿にできない。なぜって、この更衣室には鍵がないからだ。  がらりと音が鳴る引き戸を開けると、そこは畳二畳分ほどのスペースであり、扉のある一面を除いた壁の三面のうち、二面の壁沿いに上下二段式のロッカーが設置されている。残る一面の壁には足元まで映る姿見と、カレンダーが貼られている。こんな構造なものだから、二人同時に着替えようとするには手狭であるし、何より扉をあけると、休憩室側からガラ見えなのである。  店舗スペースの限られる駅前という立地上、どうしたって割を食うのはこういった裏のスペースであり、狭さについては仕方ないとも思える。  だからって、鍵くらいは付けてくれてもいいのではなかろうか? と、それがこの店舗で働く女性一同の総意だ。ちなみにかつて佐々木君にこの旨を伝えてみたことがあるのだが、返事は「時間のある時にやります」だった。日頃の彼を見る限り、その時間はまだまだ取れそうにないだろう。  着替えを済ませて更衣室を出ると、奈々ちゃんに声をかける。 「奈々ちゃんお待たせ、空いたよ」 「あ、はーい、ありがとうございます」  スマホを置いて立ち上がる奈々ちゃんと入れ違いで対面の椅子に腰を下ろし、ちょいとばかり行儀が悪いが、立膝でブーツの紐を結んでいく。 「花岡さん、いつもそのブーツ履いてますけど、紐結ぶの面倒じゃないですか?」 「ああ、これ?」足首まで編み上げたそれを縛り上げ、蝶結びの両の輪っかをぎゅっと引き絞る。「面倒といえば面倒だけど、私はもう慣れたかな」  足を入れ替え、反対の紐も引っ張っては足首まで覆うシャフトのフックにリズミカルに引っ掛けていく。 「そうなんですね。ああ、でも、そうやって慣れた感じで縛っていくのって、ちょっとカッコいいかも」 「そう? ありがと」  しっかりと両足を結びあげ、立膝を下ろす。空いた両手を太ももにパン、と下ろしたところで、机の上に先ほどまではなかったオーダー用ハンディが置かれているのに気づく。 「ねえ、このハンディって奈々ちゃんの?」  私が問いかけると、奈々ちゃんは更衣室に向かいかけた足を止めて「はい」と元気よく返事をする。 「バイト代も入ったし、今日は贅沢して朝ごはん食べていっちゃおうかなって」 「ああ、なるほど。ちなみに何頼んだの?」 「ハンバーグドリアです。今日はちょっとお腹ペコペコなので」  奈々ちゃんはおどけた様にお腹をさすると、にかっと白い歯を見せてからに更衣室へと消えていく。私はといえば、その背中を見送ってから一つ息をつく。朝からハンバーグか、と。  私自身仕事終わりで当然お腹は空いているのだが、それでも今の時間にハンバーグ、それもドリアなのでチーズ付きとなると、さすがにちょっと重たいな、などと考えてしまうのだった。
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