花岡 未来 ― 1 ―

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 奈々ちゃんが着替え終えてからほどなく、休憩室にハンバーグドリアが運ばれてくる。立ち上る湯気とともにこってり以外の何物でもない香りを立ち上らせるそれには、奈々ちゃんでなくとも食欲をそそられる。とはいえ、陽光射し込むこの時間帯にとあってはさすがに丸々一皿となると遠慮しておきたい。 「それじゃ花岡さん失礼して、いただきます」  スプーン片手に両手を合わせる奈々ちゃんには「はい、召し上がれ」と笑顔を添える。なんだかこのやり取りだけを聞くと私がごちそうしているみたいだが、無論奈々ちゃんの自腹である。  もっとも、仮に奢りだとしても、一食程度であればそれほど財布は痛まない。なぜなら従業員割引が使えるからだ。店舗における福利厚生の一環であるそれは社員、バイトを問わず適用され、店舗メニューを一律三割引きにて食すことができる。この場合ハンバーグドリアは単品で七百六十円なので、計算すると大体五百円ちょっとで、つまりはタバコ一箱とさして変わらない――あれ? そう考えるとやっぱりタバコって割高すぎるよね?  さて、もぐもぐとドリアを口に運び続ける彼女はさておき、私である。  早々に着替えを済ませた上で、既にいつでも帰れる状態にありながら、なおも私がここにいる理由であるが、それもやはり、目の前の彼女である。  実のところ、ドリアが運ばれてきたタイミングで私は一度立ち上がりかけていた。しかし、そこを奈々ちゃんに呼び止められ、食べている間の話し相手になってほしいと頼まれてしまったのだ。  この子は本当に――ふう、とため息をつく。 「あれ? 花岡さんどうしたんですか?」  そんな私に、奈々ちゃんが手を止めて話しかかてくる。 「ううん、なんでもないよ。それよりどう? おいしい?」 「はい、朝から大満足です。あ、花岡さんよかったら一口食べます?」  その提案には手を振って遠慮を示し、気にしないでの意味を込めて笑顔を見せる。  この子は本当に、距離の縮め方が上手いなと思ってしまう。    奈々ちゃんがこの店で働き始めたのは今年の九月の始めだ。なので、通常三か月ほどの研修期間も終わっていない文字通りの新人さんであるのだが、今の状況からもわかる通り、すっかりと馴染んでいる。  仕事についてはさすがに全てをこなすまでは至らないし、まだ誰かがサポートしてあげる必要がある。ただ、それ以上に大切な人間関係の部分において、彼女は素晴らしい適応力を見せている。そのため、私やその他深夜帯メンバーとの関係も良好で、おかげさまで深夜シフトの円滑な運営の一助になり得ている。  きっと、彼女のようなタイプが、今風にいうところのコミュ力が高いというやつなのだろう。 「そうだ、花岡さん」  気づけばドリアの四分の三ほどを平らげていた奈々ちゃんが、思い出したようにそう言っては手を止める。 「この間の話、どうですか? 考えてくれました?」 「え? この間の話っていうと……」  そこまでいって先を濁す。とはいえ、なにもそれは心当たりがないからではない。それどころかむしろ逆であり、いっそ思い出さないようにしていたものを、そう訊かれたことで思い出してしまったからこそ、返事に窮したのだ。なぜなら、その話というのが理解できこそすれ、如何せん許容しかねるものだからだ。 「だからですね」  奈々ちゃんがグイと物理的に、そして感覚的にも距離を詰めてくる。 「コスプレですよ、コスプレ。花岡さん、絶対魔法少女コス似合うと思うんですよ」  これである。 「いや奈々ちゃん? 似合うもなにも、魔法少女でしょ? 大前提として私、とっくに少女じゃないからね?」  少女、の部分にアクセントを置きつつも、否定のためとはいえなんとも言っていて自分で悲しくなってくる。 「大丈夫ですよ、花岡さん見た目全然若いですし、それにあれってやっぱり、雰囲気が大事なんで。実際、私なんかが魔法少女やると、実年齢云々よりもまず先に、そんなデカい少女はいないって叩かれちゃうんですよ」  私からすると羨ましいことこの上ない発言を繰り出しつつも、奈々ちゃんは力なく肩を落とす。ちなみに彼女の身長は見たところ、百七十センチ弱はあるだろう。 自身もレイヤーである彼女からすれば長所に違いないそのスタイルの良さが、こと魔法少女に関しては当てはまらない――といった旨を思いのほかに高い熱量で語られたのが先週のことで、コスプレを勧められたのもその時だ。 「なので花岡さん、ぜひとも魔法少女を」  今にも私の手を両手で握りしめんばかりに迫ってくる奈々ちゃんから逃げるように椅子を引き、そのまま立ち上がっては休憩室内のハンガーラックにかけたコートをひったくっては、袖も通さず小脇に抱える。 「奈々ちゃん、とりあえず返事はもう少し考えさせてもらってからでいいかな?」 「ええー、花岡さんこの間もそう言ってたじゃないですか?」  不満の声とともに、奈々ちゃんの頬がぷっくりと膨らむ。その仕草は私からしても十分に可愛らしいと思うし、そういう意味では奈々ちゃんだって十分に魔法少女足り得るとは思うのだが、それを言ったところできっと納得はしてもらえないだろう。 「奈々ちゃん知ってる? いい女っていうのはすぐには返事しないものなんだよ?」 「いや花岡さん、それって男に対してですよね? てか今、絶対ごまかそうとしていますよね?」 「さーて今日も天気よさそうだし、帰って洗濯でもしようかな? というわけで奈々ちゃんお疲れ様。明日もよろしくね?」 「あ、ちょっと花岡さん? まだ話終わってませんよ?」  言いすがる奈々ちゃんを尻目に、私はひらひらと右手を振っては休憩室の扉を開ける。背後ではガタガタと物音が聞こえるので、おそらくは奈々ちゃんが立ち上がったのだろうけど、まだドリアの四分の一が残っている以上、きっと追ってはこないだろう。  食欲に勝てない学生と、それを知った上での逃げの一手。  我がことながらに大人とはズルいな、などと思いふけっては店を後にした。
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