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「未来さん、八卓さんのオーダーお願いします」
「はーい、すぐ行くよ」
手の空いていた私に声がかかり、それに答えてはハンディ片手にホールへと出ていく。出際の一礼ももちろん忘れない。向かった卓にいたのは二十代前半と思われるカップルで、そつなくオーダーを取ってはハンディに打ち込み、送信。再び一礼してはその場を離れ、バックヤードへと戻っていく。
「デザートのオーダー入りました?」
バックヤードから配膳棚の前へと戻ってきた私を、そんな声が迎える。
「ううん、サイドメニューだけだったよ」
「そうですか、残念」
期待通りにいかなかったからか、奈々ちゃんはアニメみたいにがっくりと肩を落として項垂れて見せる。それでいて、両の手にそれぞれ持ったパスタとハンバーグセットを乗せたトレイはしっかりと水平を保っているあたり、彼女もなかなかのものである。
「それ、何卓のやつ?」
「これは十一卓さんのやつですね」
「そっか、鉄板熱いから気を付けてね」
私が声をかけると、奈々ちゃんは「はーい」と返事同様足取りも軽やかにホールへと出ていく。その背を見送っては、手に持ったままだったハンディの蓋をパカッと鳴らして閉じては、エプロンの前ポケットに滑り込ませた。
奈々ちゃんからのお願い。それは、名前呼びだった。つまりは、私のことを「花岡」ではなく「未来」と名前で呼ばせて欲しいとのことである。
私として拍子抜けもいいところだったのだが、彼女からするとそうではなかったらしい。
なんでも、実は前々から名前呼びにしたいとは思っていたものの、そもそも私は彼女の指導係も兼ねた先輩であり、そうでなくても単純に一回り近く――あくまで近くであり、決して一回りではない――年齢が離れていることもあって、なかなか言い出せなかったらしい。
ところが、ある日彼女は気付いた。自分とさして年も違わないのに、私のことを親しげに「未来さん」と名前呼びする人物がいることに。
つまりはそれが国吉であり、そうなると自然と今度は私とあいつの関係性が気になってくる次第であり、その結果が先の「仲良いですよね?」に繋がるというわけだ。
もしかして二人は恋人同士なのでは? そんな疑念を抱いて問いかけてみれば、結果はご覧の通りであり、ならば自分も思い切って、となったらしい。対する私の答えといえば、つい今しがたのオーダーコール時に彼女が私の名を呼んだことからも明らかだ。
私に言わせれば、奈々ちゃんは考えすぎだと思う。そんなに気を遣わずとも、私は駄目なんて言わないのだから。むしろ、そうして歩み寄ってきてくれたこと自体嬉しいし、なによりそんな彼女を以前にもまして可愛いと思っている。
ただ、同時にこうも思っている。彼女、奈々ちゃんは今回のように相手のことをよく考え、気を遣うことができるからこそ、私に限らず色々なタイプの人と短期間のうちに距離を縮めることができるのだろうと。そして、それは私の苦手とすることの一つであり、だからこそ私は自分よりもずっと年下の彼女を素直に凄いと思ってしまう。
ちなみにこれは余談だが、どうして名前呼びにしたかったのかというと、まず一つは私が既に「奈々ちゃん」と呼んでいること。そしてもう一つは、私は「花岡さん」より「未来さん」と呼びたくなる感じらしい。それを聞いた私はというと、その場では「へえ」と得心のいった風を装ってみたものの、その実この点に関しては今もって全く理解できていなかったりする。
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