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「何でいるの?」
それが私の第一声だった。そして、その質問に答えるでもなくどうしてか勝ち誇ったような笑みを向けてくるのが、これまた絶妙に憎たらしい。
「それじゃこの手ごねハンバーググリルのセットを一つと――」
「こら、なにしれっと注文しようとしてるのよ?」
テーブルの上に開かれたメニューをグイっと引っ張ると、まるで驚いてもいないくせに、わざとらしく「わーお」とハンズアップの姿勢をとる。これはもうどう考えても私を馬鹿にしている。と、そんな私の口元がヒク付いているのを察してか、両手を下ろし穏やかな笑みを向けてくる。
「はは、冗談だよ冗談。そんなに怒んなって」
「どうだか? だって私が怒らなかったらもっと続けていたでしょ?」
「まあ否定はしないな」
「いや、してよ」
そんなやり取りをもって、私たちは互いに笑いあう。こうして会うのは久しぶりなのだが、すぐにそうとは感じない雰囲気になってしまうのは、やはり付き合いの長さが所以なのだろう。
窓際の四卓に案内された、私の知り合いだと思われる人物。それが、今目の前にいる村瀬隆晴であり、私の学生時代からの友人であるとともに、だれあろう嫌な予感とともに真っ先に思い浮かべた相手でもある。
「とまあ、そんなわけで久しぶりだな、未来。元気にしてたか?」
「なにがそんなわけなのよ。まあ元気かと言われれば元気だけどね。村瀬の方こそどうなの? 相変わらず忙しいんじゃない?」
「まあな、というかむしろ激務だな。今日だって会社出たの十一時過ぎだぜ? いくら十二月だからって働かせすぎだよ」
自嘲するように村瀬は笑い、テーブルの上のお冷を手にとっては、ぐいと煽ってそのほとんどを飲み干してしまう。
「お代わり持ってこようか?」
「頼む」
テーブル上を滑らせるように押されたお冷のカップを受け取る。
「それで、今日はどうしたの? 随分といきなりだけど?」
カップを片手に問いかけると、村瀬は寄りかかっていたソファー席から背を起こして「ああ」と答える。
「未来さ、直近で金曜か土曜休みの日ってあるか?」
「金曜か土曜? それってどっちかでいいの」
「ああ。連休なら最高だけど、どっちか休みなら構わない」
「そっか。それならちょうど今週の金曜が休みだね。あいにくと土曜はシフト入っちゃってるけど」
シフト表を思い浮かべながら答えると、村瀬は右手を握っては「よし」と開いた左手にポンと打ち鳴らせる。
「それじゃ未来、金曜飲みに行こうぜ?」
「うん、いいよ。あ、でも一応あとで今週のシフト確認するから、休みで間違いなかったら連絡するよ」
「わかった。そんじゃ俺、メニュー選ぶから、決まったらまた呼ぶわ」
「了解。お水だけ持ってきちゃうね」
ほぼほぼ空になったカップを片手に振って、私は踵を返す。それから数歩踏み出したところで、はたと気が付いて足を止める。
ちょっと待って? これだけ? あまりに自然な流れなので席を離れてしまったが、いくらなんでも中身がなさすぎる――そう思った時には既に、私の足は再び村瀬へと向いていた。
「ちょっと村瀬」
店内のためにあまり大きな声が出せないのだが、それを補うように強い口調で問いただす。
「あれ、未来? どうした?」
「どうしたもなにも……ねえ村瀬? もしかして今日って、わざわざさっきの飲みの誘いを言うためだけにお店に来たの?」
「だけってことはないぞ。もちろん晩飯も食いに来た」
トントンとメニューを示す村瀬に、私は言葉が出てこない。代わりに出るものといえば、それはもうため息に決まっている。
「村瀬ってさ、時々とんでもなく馬鹿だよね?」
「おいおい、言ってくれるじゃねーか」
「そりゃ言うでしょ」
思わずテーブルに手をついて、その場にへたり込んでしまう。
「飲みに行くんだったら、一本連絡くれればいいだけじゃない」
「まあな。でも、この方が面白いかなと。実際お前、驚いただろ?」
してやったりの顔で笑う村瀬だが、私はといえば再びのため息に引っ張られるかのようにいよいよ俯いてしまう。確かに村瀬の言うとおりに私は驚いた。その意味で、村瀬のたくらみは成功したといえるだろう。だが、それだけだ。たったそれだけのために、明日も仕事であるはずのこの男は、今日の終電を捨てているのである。これを馬鹿といわずしてなんと言おう。
ふう、と一つ息をしてから立ち上がる。見下ろした視線の先には村瀬の笑顔で、こういったところは、それこそ学生の頃からまるで変っていない。
「念のために聞くけど、そもそも私が休みだったらとか考えなかったわけ?」
「もちろん考えたぞ? でもまあ、その時はその時だろ」
うん、そうだね。村瀬ならきっとそう言うだろうと思っていた。そして、不思議と村瀬というのは、こういう時の運に限っては昔からやたらといいのだ。つまりはそこも含めて、今日は私の負けなのだろう。
もはや何度目かを数えるのすら面倒になったため息をつき、村瀬と笑いあう。
「ところでさ、村瀬、このあとどうするの? うちで食べていくのはまあいいんだけど、もう帰れないでしょ? 終電なくなっちゃったし」
「ああ、帰るのは無理だな。でさ、未来、お前今日仕事何時までだ?」
「私? 今日は十一時から入ったから朝の八時までだね」
「ならちょうどいいな。お前んち泊まらせてくれ」
「は? なに言ってんの? 嫌だよ」
「まあそう言うなって。ベッド貸してくれるだけでいいからさ」
「いやいやおかしいでしょ? てかベッド使うんだったらシャワーも絶対でしょ?」
「そうか? んじゃ風呂も借りるわ」
そういうことじゃない。確かに風呂は必須だが、こう絶対的に会話が噛み合ってない。
「なんだよ、前にも何回か泊まってるし、別にいいだろ?」
な? とばかりに首を傾ける村瀬に、なんだか断るのが馬鹿らしくなってくる。実際村瀬が言うように何度も泊めたことがことがあるし、今更部屋を見られたところで、本音を言えばどうということもない。ただ唯一、私の女性としての本能が、二つ返事で承諾するのを拒んでいただけだ。
「わかった」ふ、と肩の力を抜く。「いいよ、泊まっても」
「おお、さすが未来」
なにがさすがだ。思ってもいないくせに。しかし、内心でそんな悪態を吐きつつも、不思議と私の顔には笑顔が浮かんでいる。
「合鍵の場所って、前と一緒か?」
「うん、変わってないよ」
不用心なのでやめるべきなのだろうが、私は部屋の合い鍵を給湯器の影に隠していて、古い付き合いである村瀬はそれを知っている数少ないうちの一人だ。
「了解。それじゃ朝も俺の方が早いから、出るとき同じところに戻しておくわ」
「うん。それから、エアコンとか電気とか、ちゃんと出るとき消していってね?」
「おう、任せろ」
サムズアップな村瀬に押し切られてしまった私だが、どうにもこのままというのは少し悔しい気がしないでもない。お互いの関係を思えば別にこれでもいいのだが、何か些細なことでも構わないから、村瀬にやり返してやりたい。
はてさてそんな村瀬はといえば、本日の宿も決まったとあってかメニューを開いてほぼ夜食ともいえる夕げを選んでいる。そうしてペラペラとめくられていくメニューに、ふっと閃きが降ってくる。
「ねえ村瀬」
メニューに向かって身を乗り出し、強引に村瀬と目を合わせる。
「おうなんだよ、これじゃ見えないだろ?」
「いやね、私、このあと休憩に入るんだ」
「そうなのか? お疲れ様」
「うん、お疲れ様なの。だからさ、これ、奢って」
言って、メニューの写真を指差す。その指差した先を見てか、村瀬が一瞬眉を寄せるも、私は構わずに続ける。
「今日の宿代。そう考えれば、安いもんでしょ?」
ぶつけた疑問符にキョトンとする村瀬だったが、すぐに吹き出しては「そういうことか」と頷いて見せる。
「宿代なら仕方ないな。わかった、奢るよ」
折れた村瀬が穏やかに笑い、私もメニューから指を離しては小さく笑う。いわゆる痛み分けというやつだ。
「それじゃどうする? ほかに頼むのも決まっているなら、このままオーダー受けちゃうけど?」
「なら頼むわ。それじゃこの――」
ハンディを開いて村瀬の注文を打ち込んだその最後、私は今日の宿代と相成ったシーズンメニューの期間限定パフェを手早く打ち込むのだった。
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