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「お疲れさまでした」
バックヤードに声が響き、休憩室から国吉が、すぐに続いて奈々ちゃんが出てくる。私は絶賛勤務中であるものの、二人は私よりも一時間早いシフトで入っていたため、上がり時間も一時間早いのだ。
「それじゃ未来さん、お先します」
帰りがけの奈々ちゃんが、通路からひょいと顔だけをのぞかせて声をかけてくれる。
「うん、お疲れ様。この後学校でしょ? 居眠りしちゃだめだからね?」
「いやあ今日は午前中から実習なんでちょっと危ないかもしれません」
あははと笑みを浮かべつつ、奈々ちゃんが頼りない台詞をこぼす。彼女は現役で服飾系の専門学校に通っているのだが、専門学校は単位次第で時間割にある程度融通の利く大学とは違って毎日きっかり朝から授業があるため、奈々ちゃん曰くの「ちょっと」よりもよほどタイトなスケジュールであるように思う。
「あんまり無理しちゃだめだよ?」
「はい。でも、大丈夫です。それもこれもみんな好きなことのためですし、それにほら、今日は甘いものパワーもいただきましたし」
言って、奈々ちゃんは眼前でぎゅっと両の手で握りこぶしを見せる。ちなみにここでいう甘いものとは、例の宿代であるパフェのことだ。お客様のオーダー品ではないからと全て奈々ちゃん任せで作らせてみたところ見事なまでに失敗し、私は私で食べたいからというよりも何かしら村瀬に奢らせたいからと注文しただけだったので、そのまま廃棄という体で奈々ちゃんの胃袋行きと相成ったのである。
「次は失敗しても食べちゃダメだからね?」
からかうように水を向けると、奈々ちゃんは一瞬ドキッとしたように目を大きく見開いたのち、「任せてください」と言葉尻も爽やかに笑顔を浮かべ、手を振っては去っていく。その後ろ姿に、思わず「青春してるなあ」と呟いてしまった私だが、その奈々ちゃんと交代で入っては朝の準備を進めていたパートの女性である伏見さんが、同じく私の後ろで「だねぇ」と相槌を打っていた。
「それじゃ未来さん、俺も上がります」
そんな奈々ちゃんと私の会話が終わるのを律義に待っていたのか、続いて国吉が顔を出す。
「ああ、そっかキミも上がりか。はいお疲れ様」
一言挨拶を交わしてから、カウンター下のゴミ袋を引っ張り出してはわしゃわしゃと中身を押し込み、口を結わえていく。しかし、こうしている間にも視界の片隅にはこちらを見たまま動かない国吉が映っている。
「未来さん、なんか春日さんに比べて俺の時だけ素っ気なくないですか?」
「そう? 別にそんなつもりはないんだけどね。それよりもほら、今日も授業あるんでしょ? だったら早く帰らないと」
「そうですけど、今日も俺、講義三限からなんですよ」
「そっか、なら帰って寝る時間あるんだね」
答えてから「よいしょ」とゴミ袋を持ち上げる。それから背後の伏見さんに、「ゴミ捨て行ってきます」と声をかける。
正直なところ、国吉が何を言いたいのか――言ってもらいたいのかは察しがついている。ただ、今日に関してはその誘いに乗ってあげるつもりはない。
たとえばここで、国吉の思いを察していつものように朝食に誘ったとしよう。そうすれば当然、いつぞやのように私の部屋に寄りたいと言い出すだろう。とはいえ、さすがの私もついさっきまで別の男――たとえそれが村瀬であり、一緒に過ごしてはいないとはいえ――がいた部屋に、さらに別の男を連れ込むなんて真似はしたくない。
別に修羅場がどうこうというわけではないが、私にだって一定の線引きというやつはあるのだ。個人的には貞操観念だって、人並みには持ち合わせていると自負している。もっともこれはあくまで自負なので、人から見たらどう思われているかはまったくわからないのだが。
そんなわけで、ゴミ袋片手に裏口へと向かう私は、そこでのすれ違いざまで国吉の肩をポンと叩く。そのまま足は止めないままに振り替えると「また今度ね」と添えてひらひらと手を振る。するとやにわに国吉の表情が明るくなるのだが、私はあえて気にするでもなく裏口へと消えていく。
ちなみにこの数秒後、裏口からの階段を下りる途中で、むしろ国吉に対して思わせぶりな態度をとってしまったのではないかと気づき、後悔とともに一人悶絶することとなる。
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