花岡 未来 ― 2 ―

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 翌日、講義室内の階段状に並んだ三列の長机のうち、窓側の列の中ほどに座って講義を受けていた。  一つの講義のうち全ての席が埋まるほどに学生が出席するものはないが、それでも半分ほどの席は埋まっている。ただ、入学当初は皆がそれぞれに間隔を空けて座っていたのだが、最近では席の埋まり方に偏りができるようになっていた。主に前方と後方の席に学生が集中し、私のいる中ほどの席が最もまばらだ。学生もそれぞれが間隔を空けるというよりは、知り合い同士の数人で固まって座るようになり、空席はすなわちグループの境界だったりする。なお、この傾向は前方よりも後方の席でより顕著だ。  さて私であるが、当然のように両隣は空席だ。これなら荷物の置き場に困らないし、卓上にノートを広げるにも隣を気にしなくていいときている。おかげで板書がはかどって仕方がないのだが、まるで楽しいと思えないのが悲しいところだ。  昨日の放課後、学食を立ち去った私に呼び止める声はかからなかった。後になってから、先輩に対してとても失礼なことをしてしまい、もしかしたら怒られていたかもしれないという点に思い至り、一人肝を冷やしたりもした。  それでもしかし、あの状況では断るという選択肢以外になかった。だから、逃げ出したことを間違いだとは思っていない。ただ、唯一の心残りがあるとすれば、私に声をかけてきた彼、村瀬にだけはちゃんと謝りたいと思っていた。とはいえ、同学年とはいっても学部や専攻を聞いたわけでもなければ特に知り合いもいない私からすれば、学内で偶然出会うことに期待するほかない。  だからこそ、もし見かけることがあったならば、今度は私から声をかけよう、そう思っていた。思っていたのに――。 「花岡さん?」  その日の二限目の終了後、筆記用具一式を片付けていた私に、唐突にその声はかけられた。いったい誰が? 思いつつも上げた視線の先にいたのは、誰あろう村瀬であった。 「ここじゃなんだし、よかったら学食にでも行きませんか?」  そう言う村瀬に連れだって私たちは学食に向かい、それぞれに昼食を注文しては四人掛けのテーブルに向かい合って腰を下ろす。 「それじゃ食べましょうか」  向かい合った村瀬に水を向けられ、私も「いただきます」と手を合わせる。 普段学食を利用するときはもっぱら一人なので、大抵は一番安い部類のかけうどんを頼むことが多いのだが、今日は村瀬がいるとあってか見栄を張ってA定食を選んでいた。ただ、席についてみれば当の村瀬が私よりずっと安いたぬきうどんなので、勝手に要らぬ気まずさを感じていた。 「そ、そういえば村瀬さん」  それをごまかすように話しかけると、村瀬は七味を振りかける手をとめてこちらを向く。私はぐっと一つ唾を飲み込み、言葉を繋ぐ。 「さっきの講義、どうして私がいるってわかったんですか?」  私が村瀬のことを知らないように、村瀬もまた私のことを知らないはずだ。それなのに、昨日の今日でまた顔を合わせるとは思ってもいなかったのに。 「ああ、それはですね」 七味の容器をテーブル中央に戻し、照れくさそうに頭を掻く。 「さっきの講義って、一年の必修科目ですよね? だから俺、今日の朝イチで学生課に行って講義の時間割を教えてもらったんですよ。花岡さんも一年だって言っていたから、各曜日の必修科目の講義を虱潰しに当たればどこかでは見つけられるかなって。まあ、まさか俺もいきなり見つかるとは思ってもみなかったんですけど」  一息に村瀬は言うと、どこかごまかすようにあははと笑って見せる。だが、その表情に浮かぶ申し訳なさは本人の意図とは裏腹にまるでごまかしきれておらず、だからこそ、私はそんな村瀬に合わせて笑ってあげることができずにいた。 「でも、どうしてそこまでして?」  もしかして、サークルの先輩に言われて? 僅かではあるが、自分の行いを鑑みてはそんな疑問が脳裏を過ぎる。だが、そんな私の心配をよそに、村瀬は苦笑いを浮かべたままにこちらを向きつつも、気まずさからか目線を合わせないままに口を開く。 「それはほら、やっぱり花岡さんにはちゃんと謝らないとなって思ったんで。あ、もちろん先輩たちに言われたからとかじゃないですよ? あくまで俺が個人的に、悪いと思ったんで」 「村瀬さんが? いやいや、むしろ謝るのは私の方ですよ。ほんと、何にも言わないでいきなり逃げ出しちゃったんで」 「いや、花岡さんは全然悪くないですよ。むしろ、俺も逆の立場だったら似たようなことしてると思いますもん」 「え? そうなんですか?」 「そりゃそうですよ。花岡さんがせっかく来てくれたっていうのにあの先輩たち、ありがとうの一言もないし、その上本人目の前にしてニヤニヤして……俺も初めてだったんでまさか先輩らがあんな感じだとは知らなかったんですけど、とはいえ花岡さんを連れて行ってしまった責任はやっぱり俺にあると思うんですよ。なので」  そういうと村瀬は椅子を少し引き、両手をパチンと両の太ももに置き揃える。 「花岡さん、昨日は本当に、すみませんでした」  言うと同時に、深く頭を下げられる。  あまりに潔い下げっぷりに呆気にとられてしまったが、その直後、ここが学食だという事実にハッとする。見れば、案の定近くの学生たちは足をとめ、その上周囲からは明らかな好奇の視線を感じる。これではあからさまに見世物状態であり、詰まるところ、とんでもなく恥ずかしい。 「いや、あの、えっと、村瀬さん?」  思わず腰の浮いてしまう私だが、それもあってか余計に注目を集めてしまう。 「本当は先輩たちにも謝ってほしいんですけど、なんとか俺一人で許してもらえないでしょうか?」  いや、違う、そういうことじゃない。なおも頭を下げ続ける村瀬に、周囲をキョロキョロと見渡してはあたふたしてしまうも、当然助けなどあるはずがない。  ああ、もう!  私は席を離れるとテーブルを回りこんで向かいにいる村瀬の肩に手をかけ、ぐいと折り曲げた体を引き起こす。 「え? 花岡さん?」  疑問符を浮かべる村瀬には構わず腕を掴んではぐいと引っ張り、「いいから、場所を変えましょう」と強引に立ち上がらせる。 「いや、でも、昼飯がまだ――」 「もう! いいから早く!」  なによりも羞恥心が先に立つ私は村瀬に二の句を告げさせないままに腕を引く。そうして顔を隠すように伏せたまま、村瀬と二人学食を後にする。  ただただ思うのは、こうなると知っていれば四百五十円のA定食なんて頼まなかったのにということだけだった。
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